どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》福島巡礼2015夏⑩相馬市原釜・津神社/神の依代はなぜ安泰なのか…

-No.0689-
★2015年08月11日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1615日
    (高倉健没から →  274日
★オリンピック東京まで → 1809日






津波はいつも、ここまでは来なかった

 7月16日(木)、雨。 
 ぼくは「浮船の里」の出逢いに満足して、南相馬市小高区を後にした。
 〝一日に一つの出逢い〟があれば、いうことはない。

 国道6号を相馬市へ。
 ぼくにとっては松川浦が、定点ウォッチ・ポイントであった。
 津波原発事故跡の空の向こうに、2020TOKYOを見すえる腹をかためていた。

 北の相馬港側から大洲海岸方面へと架かる松川浦大橋が、じつに頃合いの展望を与えてくれそうだったが、津波の被害に遭って、あのときからずっと閉鎖のままになっている。
 2011年の夏以来、なんど訪れても、あいかわらず通行止めのままだった、橋そのものは損傷が少ないように見えるのに、である。

 それは、松川浦を太平洋から切りとっている大洲海岸側の被害が大きいからだ、ということはその後に現地を訪れてわかってはいたが…。 
 地図を見るたびに溜息がでるほどに、松川浦大橋の、そして大洲海岸の先っぽの鵜ノ尾崎灯台の在りようは魅力的だった。

 このたびもまた、〈ダメもと〉で鵜ノ尾崎灯台を目指してみたかったが、雨にはばまれた。
 相馬港側から松川浦大橋の袂まで行ってみたけれど、やっぱり〝通せんぼ〟ゲートの前に制止の人が立っていた。
 もう馴れっこになってしまっているボクは、その人の前まで行って、黙々とUターン。

◆かわりに津神社を訪ねる

 原釜大津。
 そこは、大津波にすっかり洗われて無慚な海岸から、松川浦の旅館街へと抜ける、ゆるやかな丘の上だった。
 道端に立つ鳥居から、石段がさらに小高い高みへと誘う。
 返り見れば、そこが、海岸からは、なんとも絶妙なぐあいの距離にある。海岸低地へと押し寄せた津波が、ちょうど勢いを失うあたりに丘はあり、さほどの高さにも見えないながら、津波はその裾まで来て、ついに返して行くらしい。
 
 実際にこの神社は、『日本三代実録』に記し遺された貞観津波や慶長津波からも被害を免れ、このたびの《11.3.11》大津波でも、境内にたくさんの避難者たちを受け入れ、無事に守りとおしており、石段脇にはその記念碑が建つ。

 ぼくはあの日から、心がけて沿岸各地の神社と寺を観察している。
 その結果あきらかなのは、神社はそのほとんどが被害を免れているのに、一方で寺はその多くが津波に浚われてしまっていることだった。

 それは、神の社が先に好立地を得ていたゆえか、あとから伝来の仏教寺院にはそのチャンスがなかったからか、はたまたそれは民衆に寄り添う寺方ゆえのことであったか。
 ぼくには、いまだに思い定まらない。

 雨の津神社境内に佇んで、しばらく肩を濡らしてみたけれど……やっぱり、わからない。
 あるいはこれは、比較宗教学のテーマでもあろうか。