どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》福島巡礼2015夏⑦大熊、双葉、浪江町/こんな環境下に〝帰れ〟というのか、この国は…

-No.0686-
★2015年08月08日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1612日
    (高倉健没から →  271日
★オリンピック東京まで → 1812日



◆オートバイは通行禁止

 7月15日の宿は相馬市、相馬駅に近いホテルだった。
 南相馬市の、原ノ町駅前あたりに探してみたが、満室の盛況だった。
 復興の足の運びは鈍い福島県沿岸部だが、それでも除染ほか、さまざまな工事関連での宿泊需要は引きも切らない。

 翌16日、早朝に目覚めると、窓の外は雨模様、予報はハズレなかった。
 もし晴れたら、まず飯舘村を訪れる予定でいたのだが、やむなくフィールドワークは次の機会にゆずる。
 
 国道6号ウォッチの動画撮影、きのう一旦中断した富岡町からの再開を目指して常磐道を引き返す。
 福島第一原発事故で大幅に遅れ、待ち望まれた常磐道の全線開通だけれど…現実は、まだ”入院加療中”みたいなもの。
 最後の工事区間となった常磐富岡IC-浪江IC間は、オートバイの通行禁止中。原則立入禁止の帰還困難区域を通っているからで、室内空間が確保される四輪はかまわないが、雨風曝しになる二輪はキケンということだ。
 
 実際、この区間には上・下各3ヶ所のモニタリングポスト(プラス両ICにも)が設置されて、運転手へ放射線量の情報提供をしているが、昨日夕刻に下り線を走ったとき1つのモニタリングポストの電光掲示が5.0マイクロシーベルトを示していたし、今朝の上り線でも同じ数値を示していた。
 計測によれば、除染前の空間線量は最大毎時35.9マイクロシーベルトだったというから、大幅に下がってはいる。けれどそれから、数値は同じレベルで変わらない…ということは、いわゆるホットスポットの存在を示しているといっていい。

 常磐富岡インターから、3年半ぶりに全線解放された国道6号に戻って、沿道ウォッチ動画撮影を再開する。
 雨が本降りになり、視界にグレーのフィルターをかける。
 富岡町から大熊町に入る。
 町境に近い大川原地区に、大熊町の帰還拠点を造成する構想があるようだったが、この天候ではどうにもならない。
 
 大野駅へ、の案内に従って信号を左折しようとしたら、”竹矢来”(通行禁止のバリケード)に阻まれ、警備員さんに退去を指示される。
 ”竹矢来”のすぐ向こうに、「原子力明るい未来のエネルギー」の大看板が道路を跨いで雨に叩かれていた。
 大熊町モニタリングポスト値、3.64マイクロシーベルト

 雨降りがさらに勢いを増し、前方に注意を集中していたら知らぬ間に、元凶の福島第一原発への入り口を通りすごしていたことに後で気がついた。
 これまたやむをえず、後日の再訪を期す。

 双葉町に入る。
 沿道には、”いま竹矢来”が連続し、そのひとつひとつに、割り当てられた警備員が倦まず張りついている。
 ありがたい現金収入の道とはいえ、ご苦労さまなことだった。
 (ちなみに、警備員さんの服装はふつうの制服であった。他人ごとではない、自身に対する警戒の意識が薄すぎはしないか…と思われたが、防護服はまるで日常にふさわしくない、のもたしかなことだった…)

 双葉駅、入口の信号も進入禁止。
 警備員の目が、車を退去させるまで抜かりなく、追いかけ追いすがってくるのがワカル。

 浪江町
 浪江駅の入口では、警備員らしからぬ人がプレハブ小屋から出てきて、この日はじめての笑顔をふるまってくれたけれど。
「駅ですか、通行許可証があれば、行かれますけど…」

 見覚えのある交差点「知命寺」。
 2014年の春には南相馬市から、このあたり高瀬まで来て「通せんぼ」されたのであった。

 その「通せんぼ」区間14.1kmがようやく解放された…とはいっても、それはただ通り抜けるだけの、車室空間が確保された車両にかぎられる。
 たとえば「避難指示解除準備区域」へ一時帰宅の場合であっても、この国道6号をバイクや徒歩では通行できない。

 この道筋にも随所に設置されているモニタリングポストの、表示数値はおしなべて予想よりも低かった。
 解放区間(大熊、双葉、浪江町)の、除染後の空間放射線量は平均で毎時3.8マイクロシーベルト除染前と比べ2~3割減とのことだったけれど、ポストの数値はそれよりも下まわっていることが多かった。
 ちなみに、この区間を走行通過したときの被爆線量はおよそ1.2マイクロシーベルトとの推計である。
 
 正直にいえばボクは、影響リスクの少ないとされる高齢者に属し、現地取材の目的で来ていることもあって、被爆線量についてはリスクを感じていない。少なくとも〝いま竹矢来〟のバリケード(沿道に約300ヶ所あるそうな)風景ほどには、心的ストレスもなかった。ひどい雨降りのせいもあった、けれども…。
 誰に注意されるまでもなく窓は閉め、車のエアコンは内気循環に切り替えた。

 「帰還困難区域」も「居住制限区域」もない周辺の町村では、「避難指示」の〝解除〟(帰還シナサイトイウ指示デアル)が進む。
 川内村ではすでに解除され、しかし、小学校の生徒数はなかなか戻らないでいる。
 楢葉町の場合は、この8月のお盆前に…という政府筋の考えであったが、さて…。全町避難の町では初のことに、住民の不安はつのるばかりだ。
 南相馬市の小高地区でも、来春には避難指示が解除になる見込みで、すでに自主的に〝準備〟を進める人もあれば、二の足を踏む人も多い。

 理由も千差万別、人それぞれであろうが、なによりも大きいのは、近接する親しい付き合いの町に、不気味な〝いま竹矢来〟のバリケードが立ち塞がっていること。
 自分だけでは成り立たない地域の生活上、たとえ我が家に戻れても、その現実はかぎりなく〝蟄居〟なのだった…。