どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》福島巡礼2015夏④”荒涼”…富岡駅前あたり/まさか…のバーチャル空間に迷いこんだ気分

-No.0680-
★2015年08月02日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1606日
    (高倉健没から →  265日
★オリンピック東京まで → 1818日






原発事故はかほどに前進を阻害する

 7月15日(水)。
 楢葉町から富岡町へ。

 福島第二原発入口をすぎ、避難指示区域の市街地に入ると、風景が一気に深刻化した。
 除染ゴミなど放射性廃棄物を詰め込んだフレコンバッグが積まれ、バリケードが町の辻を塞いでいる。いや、これはバリケードというより、時代劇世界の”竹矢来”と表現したほうが正しいだろう。
 銀色の金属で出来てはいるのだけれど、どなたのデザインか知らんが事情への配慮を欠いて、これでは、お咎めをうけた家の”閉門蟄居”そのままである。
 ”閉門蟄居”というのなら、重大人為事故をおこした福島第一原発にこそ課せらるべき罪科であって、これでは話が逆である。

 国道6号から富岡駅へと下る道は、いつ閉鎖が解除されたものか、通ることができた。
 駅前の商店街に出て途端…。
「なんじゃ、こりゃ!?」
 ぼくは、思わず叫び声をあげた。
 時間が一挙に、3年も4年も以前に逆行したごとく。
 津波被害の後もそのままに、ほとんど手つかずの状態が現出して、悪夢が蘇ったかのごとくだったからである。

 駅前ホテルも、料理屋も、土産物店も…すべてが廃墟さながら、ひとまず散乱した周辺の瓦礫を撤去し、道を通れるようにした後は、もう手のつけようがない、”復興”の道すじも見えない、ということだろう。
 駅の跡は、戦後すぐの風景そっくりの原っぱと化し、線路は丈高く繁る草に埋もれ、海の方角のだだっ広い”原野”の只なかには、重機のアームが所在無げに見えるばかり、駐車場も料金徴収の術なく無料開放に放ったらかされていた。

 すべて、原発事故という超絶過酷災害がまねいたことである。
 これほどのことがあってもなお、経済発展にかかせない電力需要の、原発は”ベースロード電源”だと言い張る。
 いったん”想定外”の事故があれば、ほかの事故災害とは比較にもならない長期間の停滞を迫られるというのに、である。
 あるいは、”フクシマ”のことはもう知らない、とでもいうのだろうか。

 いつもそう思う、原発再稼働を容認する考えの方々は、まず、この情景をじっくり必見、省察すべし。
 結果、それでも「他所ごとだ」「自分には関係ない」というなら、ここから永遠にきえてなくなってほしい…。