どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》福島巡礼2015夏③再開した楢葉町の二駅/常磐線は帰って来たけれど…住み暮らす人影なく

-No.0678-
★2015年07月31日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1604日
    (高倉健没から →  263日
★オリンピック東京まで → 1820日










津波避難経路の掲示とモニタリングポストだけ

 Jヴィレッジをあとに車を進める国道6号。
 沿道動画撮影中。
 ぼくは、みずから”中年暴走族”と称する先輩ドライバーたちと付きあってきたために、(もちろんイイワケだが)移動販売車みたいにノロノロ走らせるのは苦手。
 そこを懸命にこらえてスピードを抑え、カメラへの振動の影響を少なく路面を選び、後続の車が2~3台たまると路側に寄せて道をゆずり、なんとも、われながらこそばゆいほどの模範ドライバー振りだった。

 ここは楢葉町
 ほぼ全域が、放射線量の(比較的)低い「避難指示解除準備区域」になってはいる。
 住民に長期滞在がゆるされる「準備宿泊」がこの春から始まり、6月中旬には政府が、8月のお盆前に「避難指示解除」の方針をうちだして、それが住民に不安を抱かせる裏目になったりしていたところだ。
 (この”準備”というお役所ことば、暗に”もうじき帰宅の指示に従っていただきます”と強制をほのめかす…じつにイヤらしい)

 ごくありふれた屋並のつづく沿道の光景に、一見、瑕疵はない。
 しかし、「のどか」ではない、人気のなさは「気味がわるい」。
 黙りこくった風景に、しぜん、車の流れも控えめな影響をうけているようだった。

 しばらくして、国道から右折。
 常磐線下りは、広野駅の隣りが木戸駅。
 小さな町中の細道で、ついに人一人、車一台にも出逢わずに駅前に出る。
 もちろん駅にも、ホームにも人気なし。
 1日に上下各9本の列車が通ることになってはいるが…せっかく列車が停まっても、客は数えるほどしかないだろう。 

 掃除のしがいもなかろう…くらいに、駅舎にも待合室にもどこにも、塵ひとつない。
 城の造り物が侘しいホームにも、忘れ物ひとつない。
 探して、あるものといえば…。
 駅舎入口に掲げられた「津波避難経路」の掲示と、駅前観光案内版脇のモニタリングポストくらいであった…。

 もう一つ先の竜田駅まで、そのまま地方道を行って見る。
 屋並の風景は、右にならえ。
 「津波避難経路」の掲示は広野駅でも同じであり、どうやら一帯の常磐線各駅に共通の仕様になるらしい。

 駅に通じる道が、除草(除染は済んだらしい)作業中だった。
 作業車両がデンと居坐って、他車の迷惑なんか眼中にない風情でもったりやっている。
 ようやく障害物を避けて徐行して行くと、いくつかの好奇の目に覗かれた。

 駅の風景は…これまた、前に同じ。
 ただ、ここではずいぶんキッパリと、この先を北に延びる線路が遮断されていた。

 来春以降の帰還を目指す楢葉町では、移転中の役場と業務の一部を、駅に近い元の役場に戻して再開したばかり、という。
 「電車で帰って、家の片づけができるのはありがたい」という声もあるそうだけれど、それがどれほどの数かは、周辺の風景を見ればおよそ察しがつく。

 じつは、ここから原ノ町駅(南相馬市)までの間は、事故終息もままならない福島第一原発に行く手を遮られ、まったく開通の見通しがたっていない。
 「車止め」どころの騒ぎではない、この堅牢にすぎる遮断通路は、(いつのことかもわからない)”復興”への面当てかと思われてならなかった…。