どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

アンソニー・ホプキンスの『ハイネケン誘拐の代償』/”演出”が使いきれなかった”大役者”の器量

-No.0654-
★2015年07月07日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1580日
    (高倉健没から →  239日
★オリンピック東京まで → 1844日

なでしこジャパン、惜しくも連覇ならず。開始早々の失点が…すべてだった。アメリカの襲いかかる圧力、オソルベシ。でも、”なでしこ”にはチームに一体感があって、すばらしかった。男子にはこの一体感が感じられない。報酬その他、競技環境の違いが大いに関係ありそうだ*




◆『羊たちの沈黙』の”名優”

 あの、アンソニー・ホプキンスが出演しているというので、ロードショウを観にいった。
 映画は『ハイネケン誘拐の代償』。

 1983年、実際にあった世界有数のビール会社、経営者誘拐事件を題材にしたサスペンスである。
 彼、アンソニー・ホプキンスにスクリーンでお目にかかるのは、10年ぶりくらいか。

 『羊たちの沈黙』(1991年)で、彼が演じた稀代の殺人嗜好者ハンニバル・レクターは衝撃だった。
 アカデミー主演男優賞なんか(どっちでもいい)ほどに、はげしく魂を揺さぶられたものだった。

 彼こそ、”怪優”なんてとんでもない、”名優”であろう。
 殺人鬼を演じながら、いつも目には冷徹に光るものがありつづけた。

 再びレクター役を演じた『ハンニバル』は、それから10年ぶり(2001年)。
 ざんねんながら、この作品は続編映画づくりの難しさを露呈する結果になった。
 アンソニー・ホプキンス自身、レクター役は(もういい)心境ではなかったか…。

 『羊たちの沈黙』でアンソニー・ホプキンスに感じ入ってしまったぼくは、彼の経歴を、その後しばらくして知った。

 パン屋さんの息子で、最初はピアニスト志望だっというのが、微笑ましく、うなづける気がした。
 演劇を学んだのは、ロンドンの王立演劇アカデミー、これも(だろうネ)となっとくである。

 「演技というのは絵空事で、その要素はすべてシナリオの中にある」という、彼の”演技感”もいい。
 台本のチェックとセリフの暗記は徹底するという、まさに演技派の”名優”さん、といってよかろう。

 『羊たちの沈黙』ではじめてアンソニー・ホプキンスを識ったぼくは、以後、彼の作品に注目してきた。

 『ハンニバル』と同じ2001年、『アトランティスのこころ』という難しい心理劇の演技にも、なんともいえない安定感があった。
 『白いカラス』(2003年)でも、深刻なアメリカの人種と性の問題を体現する役を演じて、危険なにおいのする魅力的な男を外連味〔けれんみ〕なく演じた。
 『世界最速のインディアン』(2003年)では、オートバイの地上最速記録(1000CC以下)保持者という、実在する初老のニュージーランド人を演じて、愛すべきものがあった。

 いずれの作品でも、彼の瞳はやさしい微笑みをたたえながら、いつも冷徹な光りをうしなわなかった。

 さて、このたびの最新作『ハイネケン誘拐の代償』。
 ぼくが、彼のカリスマ性に期待しすぎたせいか、アンソニー・ホプキンスには役不足の映画だった。
 演出家にとって、このハイネケン役にはアンソニー・ホプキンスをおいてほかになかったのはわかるし、しかし、それなら彼にもっと演技の場面を用意する必要があったろう。

 せっかくの存在感が、惜しいかな薄い”水割り”になってしまっていた。

 劇中には、いい台詞もあった。
「人生には二通りある、大金を持つか、大勢の友人を持つか、両方はありえない」
 誘拐された老獪な富豪が、犯人の若者たちを諭すコトバで、これにはさすが、アンソニー・ホプキンスが演じる役柄らしい説得力があったけれど…。

 (ぼくには、どっちもない)のであった。