どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》広島巡礼後⑧-締め括りの善光寺詣で/旅の終わりは、始まりに負けず劣らず気が抜けない

-No.0653-
★2015年07月06日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1579日
    (高倉健没から →  238日
★オリンピック東京まで → 1845日






◆通りすがりにツと頭を下げる仕草

 北陸新幹線が信州に入る。
 金沢から長野まで、わずか1時間半。
 まだ予定がのこっているので、ビールというわけにもいかない。
 (歩くだけじゃない、動くことじたいがメンドウ臭くなっちまう…からイケナイのだ)

 閉めきられた窓ガラスに、雨が斜めにふるえながら筋をひく。
 金沢でもたっぷり湿り気を含んでいた空が、いよいよその重さに耐えられなくなってきたらしい。
 長野は、まちがいなく梅雨どきの雨模様になっていた。

 善光寺さんまで歩くつもりで…歩いてもすぐの感覚で…いやまてよ(あれは車で来たとき駐車場からのことだった)と気がついてバス乗り場を探す…それが探すとなるとなかなか見つからない…善光寺詣ではもはや、さほどにまで旅人にもおなじみ、長野駅からとくに案内すべきところでもない…というふうだった。
 (かなりクタブレちょるな…)と、ここまでよくガンバレれてる自身がおかしく、愛おしくもあった。
 「広島の旅」に出て5日目、グルッとまわり道の帰路である。

 バスの、フロントガラスを叩く雨粒を見ながら、ぼくは考えた。
 出雲大社での”神だのみ”が、べつにものたりなかったわけじゃない。
 でも、善光寺詣でもパスするわけにはいかなかった。

 (旅…だな)と想う、これが旅のもつ不思議だ。
 旅は、出かけるときから、あれこれ気がまえがいる、心くばりもいる。
 途中も同じだ、けれど、まぁ適当にしておいてもかまわない。
 けれども、締め括りには、また、気がまえ、心くばりが、欠かせない。

 どう始めて、どう終えるか…は。
 (あした死んでも悔いないか)
 たいせつことだった。

 ことし《戦後70》の巡礼。
 それも長崎、沖縄と経て、こんどが〆の広島巡礼をどう終えるか。
 あれこれ考えた末に、善光寺詣でを選んだことで”きり”がつけられたのだから、それで(いいじゃないか)。

 いつ来ても想う。
 善光寺さんは、浅草の観音さんと、よく似てる。
 もちろん、違いは歴然とあるわけで。
 たとえば、”星霜かんろく里山”の善光寺に、”肩入れ江戸前海”の浅草観音。
 …だろうけれども、なんだかんだいっても、やっぱり親身に似ているところが、善光寺と浅草観音のいいところだ。

 どちらでも、本堂の暗がりで待っているのが「おびんずるさま」。
 晩年の高倉健さんも、縁あって、よくお詣りに通った…。

 つい先日、七年に一度の「前立本尊御開帳」行事がすんだ善光寺、本堂に合掌(旅の無事終了のお礼詣り)。
 (少年のドローンが落ちたのがこの辺か…)境内の石畳を踏み。
 生憎の雨の午後も遅く、はやばやと商いを仕舞う店もあるなか、蕎麦屋に席をあたためて燗酒でも啜れば、善光寺詣でも、これにてめでたく一件落着。

 その店は門前の角地にあったのだが…。
 雨のなか、傘をさして通りすがりの土地の人が、ツとごく自然に立ちどまって、善光寺さんのお堂に向かってシンナリ頭を下げて行く。
 これは全国どこへいっても、由緒ある社寺にはきまって見られる光景だけれど、この「ツ」と立ちどまるさり気なさと、「シンナリ」と手を合わせる仕草が、いい。
 余所者には真似のできないよさがあるのだ。
 (ぼくは浅草に行くと、観音さまの前を”通りすがる”気分で、このツとシンナリの仕草をこころみるのだが…いまだにどうもうまくない)

 長野からの北陸新幹線(かつての長野新幹線)「かがやき」も、指定席はほぼ満席。
 軽井沢あたりに来て、列車の動きにやや”ぎごちなさ”がでる。

 かつては信越本線の難関、”日本一の難所”と知られた碓氷峠を、ややスピードゆるめて横川を通過…。
 ぼくには、むかしニキビ面で乗った列車、山靴の床下で、ガシガシと歯を噛み合わせ攀じて登ったアプト式、列車の喘ぎが、ふと懐かしかった…。

          ☆          ☆          ☆
 
 これで《戦後70》巡礼、長崎・沖縄・広島の旅を終え。
 夏はまた《11.3.11》巡礼、東北の旅になる。