どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》広島巡礼後⑦-北陸新幹線開通後の金沢/近代化で”しっとり”感の薄れた古都のこれから

-No.0652-
★2015年07月05日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1578日
    (高倉健没から →  237日
★オリンピック東京まで → 1846日






直江津がどっかへいっちゃった…

 京都駅の朝、通勤ラッシュの場面に、旅人は遭遇した。
 ずっと以前のことだが、京都駅の0番線といえば、ぽつんと見るからにとりのこされた印象のホームが、山陰本線の列車発着用になっていたものだったが。
 いまは近郊通勤圏を結ぶ電車の、”千年の古都”の新時代を告げるホームに生まれかわっていた。
 駅員に”女子”がめだつことも新時代っぽい、といえばいえなくもない。

 その、通期時間帯の、同じホームから出る、北陸本線の特急「サンダーバード」に乗る。
 ずいぶん慌ただしいことになったものだ、旅情もへったくれもない、日常がそのままに距離をずんずん伸ばして行く。

 《戦後70》広島巡礼の帰路が、なぜ、山陰の出雲路にカーブし、さらには北陸路へと大遠投されるようなことになったか…といえば。
 前にも言ったとおり、旅好きなボクによくある、気まぐれな思いつきに、ちがいはない。
 しかし、その思いつきも、じつは出雲まで、そこから先は大人しく帰宅のつもりだったのだ、けれど。

 旅程の計画を練っているときに、ふと。
「ねぇ、ひょっとして、帰りに金沢に寄ってきたりできる?」
 かみさんのヒトコトで、こうなった。

 そのさい最初に考えたのは、山陰路から丹後半島若狭湾沿いに突っ切って、北陸路へと乗りこんで行く肚づもりだったが。
 山陰本線「豊岡」駅から北近畿タンゴ鉄道小浜線と乗り継いで北陸本線敦賀」へと抜けるルートは、なるほど路線は繋がっていても、列車の運行はささやかなもので、とても”突き抜ける”なんてもんじゃない。
 結局のところこのたびは、距離的には遠くても優等列車の走る京都経由にするほかなかったわけである。

 湖西線経由の「サンダーバード」は、京都から金沢まで2時間半弱。
 無理に新幹線をもってくるまでもない距離だが、北陸新幹線が金沢まで来たとなれば、あとは関西圏まで延伸はあたりまえ、というのが人の世の常識とやらいうものなのだろう。

 そうして金沢は、なるほどマスコミが大騒ぎするほどの変貌ぶり、ではあった。
 駅周辺の出来栄えなど、観るかぎりでは大東京のターミナルと変わりなく、むしろ”プラスゆとり”かとも思えるのだが。
 さて、これから先、長い目で見たら、どうなっていくのか、見当がつかない。

 ぼくらの乗った「サンダーバード」でも、何組かの団体さんが一緒だった。
 北陸新幹線開業以来の盛況ぶりはまだつづいているようで、駅コンコースは人で溢れていたし、外人観光客も数見られ、市内観光地に向かうバス乗り場には行列ができていた。

 けれども…なんといえばいいのか、金沢独特の匂いというか、しっとり感は影をひそめて、どこにでもある開けっぴろげな目新しさに変貌していたのはたしかで、そこがちと気にかかる。このままいくと、どうなるのか…。

 ぼくらは、”人混み”の予想される兼六園金沢城界隈を避け。
 長町武家屋敷跡の一郭と、浅野川沿いの主計町・ひがし茶屋街を散策した。
 どこにも訪客の姿が多かった。
 くわえて、明日からは「百万石まつり」が始まるというので、町の気分も浮きたち気味であった。

 食味のほうでは、観光人気につられて高級魚ノドグロが品薄、高値になりつつあるという。
 ほんのつい近頃まで、富山湾岸の地方色だったものが、いまやいちやく全国区だ。
 来シーズンは、ズワイガニの値上がりも間違いないだろう。

 あれこれ勘案すると、いましばらくは様子をみていて、いずれ落ち着くときを待って、ゆっくり再訪するのがベスト・チョイスというものだろう。
 そのとき”しっとり”感が失われずにあるかどうか…だ。

 京都がそうであるように、その決め手は、やはり神社仏閣のもつふところの深さにあるだろう。
 はたして、金沢の社寺がその趣きをもちこたえられるか、にかかっているかと思われるのだ。

 茶屋街を案内してくれたいまは市内在住の友と、駅ビル内の料理茶屋でまずは無事再会の祝杯をあげ、またの再々会を約して別れた。
 (吾ながら、慌ただしいことだった…)
 その料理茶屋にも、席の空くのを待つ客があった。

 ぼくらは滞在3時間ほどで、北陸新幹線の人となる。
 なるほど車体のデザインがいい、色も垢抜けているし、乗り心地もいい。

 しかし……。
 新幹線が富山を抜け、新潟県に入って糸魚川をすぎると、つれなく大きなカーブを描いて、超特急は南下。
 あろうことか、かつて信越・北陸路の交通の要衝であった直江津の町には、挨拶もない。

 ぼくは(それはないだろう)と心に呟く。
 ぼくら夫婦の冬の愉しみ、在来北陸線普通列車に乗ってカニを頬張る、その醍醐味のカニを買い込む町が、直江津なのであった…。

 新幹線が通れば、在来線には大胆なリストラの嵐が吹く。
 車窓の日本海の荒波を愛でつつ、ばりばりとカニを味わい尽くす愉しみが、いよいよ消えてなくなりそうだった…。