どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》広島巡礼後⑥-”京の都”への現代の近道/それにしても揺れる揺れる…特急「はくと」

-No.0648-
★2015年07月01日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1574日
    (高倉健没から →  233日
★オリンピック東京まで → 1850日


◆6月4日、京都へ

 出雲大社の町をあとに。
 特急列車は「米子」行き。

 時刻表でいまの鉄道事情を見ると、山陰本線の西端「下関」からくる列車など、もはや皆無で。
 わずかな特急列車が山陽新幹線の「新山口」から山口線経由でくるほかは、ほとんどの列車が同じ島根県内の「益田」始発だし、ここ「出雲市」駅が始発のケースも多い。

 きのう、車窓に見送った伯耆大山を、きょうは逆方向に見送る。
 「米子」で特急料金のいらない快速列車に乗り換え。
 べつに自ら好んだ選択ではない、こうするしか旅行の段取りがつかない。

 島根県から鳥取県に入った。
 地理的な人間のボクだけれど、この島根・鳥取県境がとてもわかりにくい。
 もっとも、行政区分なんてものが得手勝手なので、自然ではないのだから、やむをえないのだけれども…。

 かつて、米子の湊山公園に腰をおろし、中海の水面を染めてひろがる夕陽に眺めいったことがあった。
 その記憶を鮮明にした小道具が、競技用のボートだった。
 どこかの大学の漕艇部だろうか、エイトもふくむ数艇が練習していたのだが、最後までのこって漕いでいたのが、シングルスカルというのだろうか、ひとり乗りのボートだった。
 スリムな艇に人影ひとつ、それが夕陽のただなかをスーッと澪すじひいて静かによぎっていったのが、いつまでも心にのこった。
 それが米子の想い出のすべてになっているのだから、旅というのはおもしろい。

 倉吉で再び特急列車に乗り換える、待ち時間が2時間ほど。
 駅周辺を歩いて、かみさんは倉吉絣の小物をお友だちへの土産に買い求める。
 こうした途中下車の愉しみも、いまはけずられていくばかり、品物だけならいまは、どこでも手に入る。

 どこでもそうだが、新幹線が通ると、在来線の運行整理がどんどん進む。
 鉄道会社もご苦労なことだけれど、列車は細切れ運行になり、利用客は乗り換えに忙しくなる。

 煽りをくった格好で、新幹線のない山陰本線すじもズタズタ、利用客が多い目的地への、時間距離を短縮するためのルートどりが優先され、それからこぼれた路線・区間では、ますます不便がつのっていく。

 旅人は、その間隙を縫って旅情をつむぐ達人、ということになるのだろう。

 特急「はくと」は、(これがギリギリ限度いっぱい…)の思い入れで突っ走る。
 座席に折り畳みのテーブルの上で、飲み物の缶がカタカタ音をたてる、菓子袋があやうく飛ばされそうになったりもする。

 因美線に「用瀬〔もちがせ〕」という駅がある。
 むかし、この小さな集落に古くから伝わる「流し雛」の行事を取材したことがあった。
 きれいに着飾った少女たちが、藁で編んだ桟俵に一対のお雛さまを乗せて流すのだが、その首だけが立体感のある土でできた白塗り(衣裳などほかのすべては折り紙でできた現実感に乏しいものだった)。
 なぜかその挿げ首が生々しくて、その後なんども、逆巻く波濤に翻弄されるずぶ濡れの雛首、という影像の、怖い夢になって現れた…。

 この「はくと」の運行コースがややこしい。
 「鳥取」で山陰本線に別れを告げると、因美線で中国山脈をめざし、「智頭〔ちづ〕」から第三セクターの優等生と呼ばれる智頭急行線に乗りれる。
 京阪神から京都方面への、時間距離最短ルートということであろう。

 しかし…それにしても…。
 ほとんどが高架の線路を、特急はぶっ飛ばす。
 車体が悲鳴を上げそうに揺れる、尋常とは思えない。
 レールの規格と、許容スピードとの不一致ではないか、と思われるのだ。
 (とり残されるまいと懸命な、山陰の悲鳴と聞こえなくもない)

 前に長崎巡礼のときにもふれたが、在来線のスピード至上主義が異常に思える。
 このブログでも警告しておいたが、その後、長崎本線で特急「かもめ」が、あわや衝突かという事故寸前の事態をひきおこしている。

 これはスピードによるものではなかった、とはいえ、人はなにかひとつに偏った考え方をしているときに、過ちを犯す。

 なんとか早急に、このスピード至上主義に歯止めをかけておかないと、いずれどこかでまた、大きな事故がありそうな気がしている。
 (以前に、ぼくはJR北海道の不安…を指摘したことがあり、それは不幸にして後に、現実の事故にむすびついてもいる)

 智頭急行線を行く特急「はくと」は、中国山脈を唸りをあげて疾走して越え。
 途中「佐用」で姫新線とクロスし、やがて山陽本線の「上郡」に出れば、もうまわりもスピード狂ばかり、みたいなもんだから安心して飛ばす、飛ばす。

 「はくと」は、「相生」や「姫路」で山陰路からの旅客を新幹線にひきついで、ほっと身軽になるのだった。
 あとにのこった乗客の多くは、関西圏の人、それにプラス、ぼくらのような旅人といったところであろう。

 夕刻6時前に、“千年の都”「京都」着。
 ホテルの窓に暮れゆく空が紅い…その紅さが山陰の夕陽のそれとは、まったく印象を異にしていた…。