どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《戦後70》広島巡礼後④-日の丸と君が代…を想う/旗より遥かに高い空に浮浪雲はあった

-No.0646-
★2015年06月29日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1572日
    (高倉健没から →  231日
★オリンピック東京まで → 1852日







◆空高くひるがえる”日の丸”…

 出雲大社の境内に、空高く、日章旗”日の丸”が風をうけ、気もちよくひるがえっていた。
 旗は、かざされる旗は、ひるがえってこそ、美しい。
 だらんと首を垂れていては、つまらない。

 ボクらがガキの頃、昭和30年代の前半くらいまではどの家庭でも、祝祭日には、旗竿に結び付けた”日の丸”を門口に立て飾った。
 あのとき旗竿を斜めに出したのは、旗が塩垂れるのをふせぐためだった…。

 このたび《戦後70》広島巡礼の旅では、”日の丸”によく出逢った気がする…のは、印象的な出逢いだったからだろう。

 広島の、平和記念公園の、原爆死没者慰霊碑の脇、緑樹の影から伸びたポールに掲げられていた、”日の丸”の旗。
 風が気まぐれにしか吹かない日で、やや遠慮気味に、身をよじるように揺れていたのを思いだす。

 それが出雲大社では、なんの屈託もなく、なんとも鷹揚なのだった。

 ”日の丸”は、そのものは、いいと思う、そうとも…わるくない。日章旗は、いい旗だ。
 「日章」は太陽をかたどったしるし、白地に赤くただ丸い、こんなに簡潔美をきわめた国旗はほかにない。

 それが、自国民にさえ忌まわしいものに思われ、他国民には非常な嫌悪感や敵愾心を抱かせることになったのは、一に戦争があったから。
 それは、たとえ70年もの時がすぎたとはいえ、「なかったことに」などできることじゃない。

 これからも、まだまだ長い時をかけ、篤い手あてを尽くして、薄い皮を1枚1枚はぐように癒していくほかない。
 それほど、冷静になってよくよく考えてみれば、まったくひきあわない愚行、それが戦争というもんだ。

 そういうことを、かっちりわきまえたうえで、掲げるんでなけりゃ”日の丸”にわるい。
 日章旗のデザインに、他意も悪意もないのだから。

 呉の「てつのくじら艦」(海上自衛隊の史料館)では、展示室に、誇らしげに、旭日旗…だった。
 それがどうのというんじゃない、斜角22.5度だそうな16条の旭光デザイン、そのものはいい、意気軒昂、いいじゃないか。
 けれども、これも、ひとつの”戦争”が、その”軒昂”を、とり返しのつかない痛切さで損なった。
 
 旭日旗のデザインそのものに、他意も悪意もない。
 しかしこの旗じるしは、1889年のむかし、帝国海軍の軍艦旗に定められた歴史があり、さらに過去をさかのぼれば1870年、大日本帝国陸軍の軍旗(御国旗)とされた経緯〔いきさつ〕もある。
 それが、わが国民ばかりではない、他の諸国民の心身にも、どれほどの傷痕をきざみのこしたかに、そっぽを向くのは卑怯者でしかない。

 いまの自衛官諸君に、もはや戦争体験者などいるはずもなく、であれば、先輩の戦争体験者自衛官たちが、旭日旗に籠るさまざまな血涙の思いを伝えなければならない。
 それでなければ、”旭日旗”にわるい。

 国歌「君が代」だって、そうだ。
 あの歌そのものに、他意も悪意もない、賛歌じゃないか。
 それを、悪しき国家主義にねじまげられた過去があるから、いわれのない汚名をいまにひきずっている。

 そんな、考えてみればじつに気のどくな、国歌・国旗を、闇雲に押しつける権力志向があって、いっぽうにそれに抵抗する勢力があって、ぶつかりあい、法廷闘争の消耗戦をくりかえす。知恵もなく、ただ突っ張りあうだけの、これも貧しい”戦争”だゼ。

 国を愛する、という方々には、まことに国を愛する者は他人の痛みがわからなければならない、その痛切を癒す術を懸命にもとめる資質がなければならない、ことを知っておいてほしい。

 思えば半世紀前、1964年の東京オリンピックでは、”日の丸”が復興のシンボルだった。選手団の掲げる”日の丸”の旗の鮮やかさに、ぼくらは蘇った。
 こんど迎える2020TOKYOオリンピックでは、日本は世界平和の旗手であることが、世界から、地球からも、望まれている。

 「ノー・モア・戦争」はいうまでもない。
 核兵器廃絶も含めた未来へ希望の”旗手”であれ。
 もちろん、原子力に平和利用などあるわけもない。

 掲げられた”日の丸”よりも遥かに高い空、”国引き”出雲の眩しい碧空に、浮浪雲がひとつ…。