どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“解散風”は急に吹いたが、“突風”ではなかった/  安倍さんの内心は“冷え冷え”だろう

-No.0423-
★2014年11月18日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1349日
    (高倉健没から →    8日)
★オリンピック東京まで → 2075日




◆政治に期待しすぎないこと…か

 吹きだしたらやまない解散風、だけど、この風の現実味は呆れるほど乏しい。
 つまり、“突風”どころか“どこ吹く風”。
 
 きょう夕方、安倍総理は、記者会見で衆院解散を発表するそうだ。
 勝手に“リセット”解散、念のため“再起動”解散である。

 またまた、マスコミも大衆もこぞってアレやコレやと、賑やかになることだろうが。
 ぼくは解散・総選挙の結果よりも、これから先、対外的な“雲ゆき”の方が気にかかる。

 ちょうど1週間前の11月11日。《3.11》から3年8ヶ月目の日。
 北京で安倍・習会談があった。対立根深い日・中両国首脳の会談実現と騒がれた会見は、“一方的”な“すれ違い”におわった。
 “会談”どころか“面会”にすぎなかった。

 冒頭の挨拶場面で、無理っぽいお愛想笑顔で握手をもとめる安倍さんに対して、習さんの方の味も素っ気もない表情と態度は、首脳会談とは思えない冷え冷えとしたものだった。
 このひどすぎる態度には、みな一様に驚いたらしい。

 「あまりに無愛想な」とか「失礼にすぎる」とか、なかには「無礼であろう」なんて“憎中”の声もあったけれど。
 ぼくは、あのときの習さんの顔に、抑えがたい、いかんともしがたい「生理的嫌悪」の情を看てとった。この“生理的”な“嫌悪”というやつは、説得や理解の埒外にあって、どうにも解決の糸口さえつかめない状況ダ。

 たしかに習さんも大人気無い、「一国のトップとしてあるまじき態度」には違いないが、そんな難しい場数をたくさん踏んできた人にしても、抑えきれないのが「生理的嫌悪」というものでもある。
 しかもこの「生理的嫌悪」は、その感情を抱いた人ばかりでなく、抱かせてしまった人の側の心理にも、とりかえしのつかないほどの底深い“冷感”というか、すべての温もりを拒否する溶け難い“冷塊”をのこす。

 懸命に、習さんと握りあった手を振り動かす安倍さんの顔にも、「えっ」と場面をヨミ違えたような、明らかな動揺があった。
 そのせいもあろう、およそ25分間の、型どおりのやりとり主張に終始したあと、“対話継続”の確認さえできていない、というではないか。

 会談後の記者会見では、さすがに立ち直っていたかに見える安倍さんだけれど、心の「冷え冷え」は自身の体調にもかなり響いたことだろう。
 「生理的嫌悪」というのは、そういう厄介な心情なのダ。

 アベノミクス云々よりも、選挙結果のどうこうよりも、ぼくはこの「11.11面会(会談ではない)」の後遺症が案じられてならない。
 日中関係は、しばらくこのまま、冷え冷えとしたままいくのであろう。

 こういう局面で怖いのは、苛つきから起こる些細な火花が、大爆発を誘発しかねないこと。
 アベサンはアブナイ。