どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《3.11》2014晩夏の巡礼-10日目-伊達いちご/落ち着きがでてきた亘理町の人たち

-No.0404-
★2014年10月30日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1330日
★オリンピック東京まで → 2094日









◆9月13日、肌に秋しみる

 (そろそろクリスマスケーキ用イチゴの出荷だな…)

 洞爺湖畔のキャンプ場から、テントをたたんで伊達市へと下る。
 有珠山昭和新山の噴煙を仰ぐハウス群は、陽だまりのなかにあった。
 伊達市は、道内でも気候に恵まれたところ、として知られる。
 
 宮城県亘理町被災地から、イチゴ農家の方々5世帯が遥々移住、生産をはじめてから3年になった。
 仙台伊達藩につながる縁で、以前から交流のあった伊達市が「仙台いちご」産地の亘理町に、農家支援の方法として勧誘の声をかけたのも気の利いたことだったし。
 慣れ親しんだ土地を離れて、移住生産に応じた農家の決断も立派だった。

 “旅人”であるボクは、それぞれの土地土地に住み暮らす人々の間を漂ってゆく“浮草”のようなものであろう。“定住”はありがたいことだが、しかし、“安堵”がけっして保障されるものではない点で、人はみなおなじ境遇にある。
 (働くために動くときがある)のも人ではないか…との思いから。
 双方に敬意を表して、ぼくらは2012年春から、応援させてもらっている。

 「こちらに“イチゴづくり”のノーハウを伝えてください」
 伊達市は上手に誘ったし、それだけの厚遇をもって迎えもした。

 《3.11》にまつわる美談は数あるけれど、この「いちご農家の北海道移住」もいい話だ。
 
 もちろん、ここまで来るあいだには、そりゃいろいろあったわけだけれども…。

 ともあれ、いま、亘理町から移住して来たイチゴ農家の人たちの、表情には落ち着きが見られる。
 試行に経験をかさねて、共用ハウスから自立(自前)ハウスに移った。
 道産子農家の「伊達いちご」づくり、技術の習熟も進んでいる。
 あとは、7年後の費用弁済で、新しい故郷での“復興”が成る。
 その先の将来は、別のことだ。

 クリスマスケーキ用イチゴの出荷は始まっていた(写真、上左)。
 生食用(写真、上右)とは別物、といっていいほど未熟。だが、小さくつぶが揃っている。
 これがクリスマスケーキにデコレートされるころには、紅くかわいくなっているのだ。

 たとえば果実の劣化を避けるため素手では収獲できない、などの苦労はある。
 ハウス栽培には欠かせない暖房用の油代(1シーズンにおよそ70万円)と、収穫の良しあしとのバランスも難しい。
 「やってみないとわからないことばっかり」
 「まぁ、なんとか…。これからですね」
 それぞれの口ぶりは慎重だけれど、笑顔は正直だ。

 「いいと思いますよ」
 と、万感こめて元担当農務課長のMさんは、しみじみという。

 Mさんに、香ばしい新蕎麦のお昼をご馳走になって。
 このたびの巡礼もなんとか、こなし終えることができた。

 農家の畑の脇に、ヒマワリが一群れ咲きのこっていた。
 丈の小ぶりな種類の、うち揃って見送るがごとき風情の、後ろ姿がふと可憐であった。