どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《3.11》2014晩夏の巡礼-8日目-奥尻島④/  “グリーンツーリズム”で国境の島は救えるか…

-No.0397-
★2014年10月23日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1323日
★オリンピック東京まで → 2101日

奥尻島の2日目はフォトエッセイふうに…

 北のはずれの稲穂岬から、きのう訪れた南端の青苗岬まで。
 日本海側、そう、国境の海側を走って、この島が生きのこる術の、ヒントでも見つけられれば、と。

 まず、フェリーの港がある島の中枢、奥尻地区から、本土側の海沿いを北上。
 フェリーの船上からもひときわ目だって、「ようこそ夢の島へ」と呼びかけているように見えた…白亜の大きな建物は、現代社会の砦〈老齢介護施設〉でアッタ。







 稲穂の岬一帯は、日本各地に見られるのと同様の「賽の河原」。
 絵に描いたような慰霊の石積みの光景は、ケバい現代にも衰えることのない発信力をもって、ボクらを出迎えた。
 ただでさえ積みにくい丸石を、ひとつ積んでは…の霊場は、波洗う低地に漁家の接近を怖れさせ、それをもって1993(平成5)年、北海道南西沖地震にともなう大津波の被害を少しでも減らすことに役だったらしい。

 日本海沖の海底から起こった大津波は、奥尻島の南・北端にエネルギーを結集して押し寄せ、青苗岬と稲穂岬にぶちあたったあと、回りこむ格好で全島に被害をおよぼした。
 どちらも似たような半島先端地形の、二つの岬。
 青苗岬の被害がとりわけ激甚で、稲穂岬の方がそれよりいくらかはマシだったのは、住民人口の多寡もあったし、賽ノ河原と言う存在の所為もあった。






 稲穂漁港あたりの防潮堤も高く、わずか小さな漁船数艘のために造られた鋼鉄製の出入口扉は、“国防”レベルに思われるほど頑丈なもので、そのわりには漁家のほうが遠慮や後退のそぶりもなく、それどころかなお、従来どおりの位置に頑張っているように見えるのが不思議だった。









 稲穂から南へ、島西側の海岸道路はこのさき断崖に阻まれ、山地へと駆け上がる。

 球島山周辺は吹く風もここちよい、いまの季節ススキがお似合いの、なだらかな草地の高原だった。
 ゆるゆると放牧の牛が草を食む、向うの洋上、白い雲の下には渡島半島の陸影が望める。
 「ここは活かせる」気がして、しかし具体策を問われると名案は浮かばない。
 グリーンツーリズムというものが、現状どれほどのものになっているか知らないが、たとえば、なにかの学校にしたら良さそうな気がしたのだけれど…。

 「復興の森」へと辿る道では、ナナカマドが真っ赤な実をいっぱいにつけていた。
 ここなんかも、いいフィールドになりそうに思えるだが、人と呼ぶ手だてに窮しているふうだった。
 やはり「島」はつらい、内地であれば、もう少し違っていたろうに…。

 窪地の端から枝を伸ばす細い木が、開けた空に向かってきげんよく、ヒラヒラ葉を翻している。
 ボクらの好きなウラジロハコヤナギ。
 しかし…ざんねんながら、この木の育つところは地味がよくない。











 高原と森の世界から、ふたたび海岸へ。
 神威脇には温泉がわき、湯の浜温泉にはホテルもあるが、いまひとつリゾ-トというには風光がものたりない。

 ここには、ワイナリーもあった。
 近辺には観光用のブドウ畑も整備され、ワインの味もいけるくち。「奥尻の水」も事業化されているのだけれど。
 この種の仕事も、いまはほとんどが機械まかせなので、人手は少なくてすみ、雇用にはならない。
 事務の女性も、このワイナリーのお嬢さんだった。

 秋の北追岬公園にも訪れる人なく、ダイモンジソウの清楚な白い花が静かに陽を浴びていた。
 島のあちこちに、見どころ・訪ねどころは点在しても、いまひとつの親切心とアピール、そして「島はひとつ」的な繋がりがないために、それらがみな活かされていなかった。
 (…といっても、これだって流行らないところは何処もおなじ、ことなのだけれど)



 そろそろ南端の青苗岬に近い、藻内の海蝕崖上に「津波到達最高点29m」を示す標識があって、ここも島内観光、見どころのひとつとされてはいるが。
 もうすでに、あれから20年の歳月を経たいまでは、「ははぁ…」と振り仰げばそれでおしまい。
 「夢の島」の夢のまた夢、みたいに儚い。
 人は忘れ去るもの、それもまたよい、ことを、忘れたくない。

 ともあれ、これで島内一周。




 青苗から奥尻の港へと戻りながら、景勝「鍋釣岩」で記念写真のシャッターひとつ見て、島旅を終えた。
 島人が「むかい」と呼ぶ北海道本島へ、戻りの船便は「せたな」行き。