どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《3.11》2014晩夏の巡礼-8日目-奥尻島③/  奥尻港の朝、空から「光のパイプオルガン」が…

-No.0396-
★2014年10月22日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1322日
★オリンピック東京まで → 2102日

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奥尻島の朝、光りの海を眺めて思ったこと

 このたび奥尻島での宿は、フェリーの発着する港のすぐ傍だった。
 ぐっすり眠った翌朝、海に面した窓が不思議な明るさに耀くのに気づいて目が醒めた。
 (もしかして…)
 跳ね起きて窓の、レースのカーテンを開けるとやっぱり、「天使の梯子」。
 ぼくはカメラを手に、窓に向かって椅子を引き寄せた。
 “天使の梯子”は、雲に隠れた太陽からの光線が、雲の切れ目から光りの筋となってもれ、地上を(あるいは逆に天上を)射し染める現象。
 雲のうごきによって刻々と変幻してゆく現象は、じっくりと、しかも素早く、シャッターチャンスをとらえなければならない。

 「ヤコブの梯子」とも呼ばれるのは、旧約聖書の創世記にある記述による。
 画家レンブラントが好んで作品に描いたことから、晩年の開高健などは「レンブラント光線」と呼び、また、この現象を宮沢賢治は「光りのパイプオルガン」と称した。
 ぼくには断然、賢治の表現がこの現象に出逢ったときの気分にフィットする。

 「光りのパイプオルガン」の演奏はごく短いものだったけれども、けっして小品ではなかった。
 ぼくは、太陽が雲間を抜けて顔をだしてからも、その余韻から啓示された想いにひたっていた。

 こんど、またあらためて見なおした現実は、奥尻島の、将来の楽観をゆるさないものだった。
 はっきりいえば奥尻[町]の存続はむずかしく、いずれ消滅に向かうだろう。

 産業振興といっても、農水産は「業」といえるほどのものではない。
 たとえば、“ウニ”が島の自慢で、観光の呼び物でもあるが、漁獲は資源保護の領域にある。
 島では米も穫れるが、現状(けっして多くはない)宿泊客に供するのにさえ、不足する。

 加えて、前にも指摘したとおり「離島のハンディ」がある。内地とくらべたら、まず2割がとこは黙って差っ引かれるのだ。
 企業誘致といったところで、現実には、「利便をもって利便にこたえる」カタチの現代産業の在り方では、望むべくもないだろう。

 ただし、それでも「奥尻島が、奥尻町が、消滅することはない」はず。
 それは、この島が国の定める「特定国境離島」に該当するからだ。
 特定国境離島とは、国境に近く保全や振興が必要な有人の島のこと。
 奥尻島と同じ特定国境離島には他に、尖閣諸島に近い与那国島沖縄県)、対馬長崎県)、竹島に近い隠岐諸島島根県)、利尻島礼文島(北海道)などがある。

 国はそのために、国費による島内のインフラ整備を進め、さまざまな支援・振興策によって住民の流出、無人化をふせぐ方針である。
 自衛隊海上保安庁の常駐施設も整備されていくだろう。
 だから〈この島・この町〉が、現実に無人なる心配はない。

 しからば、いっそ“国境防衛の島”に特化して、その方面の積極的な施設誘致を進めるか。
 たとえば情報・通信関係であれば、離島のハンディも帳消しにできよう。
 しかし、これも超現代的尖端技術の世界だから、必要とするのは極めて少なくかぎられた人材で、住民の雇用にはほとんど結ぶつきそうもない。

 過疎に喘ぐ地方に典型的なのは、仕事といえば役場勤めとインフラ事業、生活必需品の販売関係に限られ、しかもこれらとて、住民がいなくなれば結局はオシマイになる。

 打開策といって、ぼくにも考えられるのは、国策による〈都会住民こぞっての定期移動の義務化〉くらいしかない…。
 ボクは、みずからのボンクラ頭をたたいて、天を仰ぐ。

 その眼前を、この朝いちばんのフェリー便が、江差港に向けて出航して行った。