どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《3.11》2014晩夏の巡礼-7日目-奥尻島①/  青苗小学校と松江・初松前の防潮堤

-No.0394-
★2014年10月20日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1320日
★オリンピック東京まで → 2104日





◆新幹線開通、江差線は廃止

 9月10日、水曜日。北の日本海は上々晴れ。
 江差港を9時30分に出航したハートランドフェリーは、11時40分奥尻港に入港、接岸。
 まず、なにはともあれ島の南、青苗地区を目指す。

 奥尻島は、これが2度目。
 前回2008年のときはマイカー・ツーリングではなく、フェリ-の港まで江差線に乗って来た。
 その江差線が、この春5月で廃止になっていたことを、迂闊にもボクは知らずにいた。
 “鉄道少年”も遠い日のことになった…。

 道路と交差を繰り返しながら行く鉄路の、踏切が〈注意〉なしで通れてしまうのも寂しいものだった。
 江差線木古内江差間42.1km)の廃止は、北海道新幹線の開通(2015年度末を予定)と引き換え、みたいなもの。
 新幹線(新青森新函館北斗間)の開業にともなって、江差線(のこる五稜郭木古内間)は第三セクターで存続することになっている。

 もともと車社会の進行もあって江差線は流行らない地方交通線に転落、北海道JR管内でも最少の1日平均利用客数(2011年度41人)を記録したくらいだから、まぁ、やむをえないのではあるけれど。
 利便を追求する時代の趨勢は、地方の切り捨てに向かうしかないのだろうか…。

◆子どもたちの笑顔に出逢えた幸運…なれど

 奥尻島に甚大な被害をもたらした北海道南西沖地震は1993(平成5)年7月。
 2008年のときには、島内事情がよくわからなかったこともあって、観光バスに乗って巡り見た。そのときの印象とおおきく違うことはなくて、道路などはさらに良くなっているようだったが、とにかくあのときとおなじに港周辺以外では、とんと人の姿を見かけることが稀…なのであった。

 青苗小学校に近いバス停に、生徒の女の子3人を見つけたときは、思わず心が弾んでしまったほどだ。
 あのときの大地震も大津波も知らない世代の、子どもたちの笑顔は一点の曇りもなく朗らか。
 なにを話し、なにを問いかけても、はじける笑い声とピースサイン。

 この子たちが通う青苗小学校、高床式のピロティー構造は、1階がいわば津波回避の“減災”空間にあてられ、2・3階が教室。
 よくできていたが、きょうは授業が午前中までだったのだろうか、どこにも生徒の姿はなかった。
 ヒジョーにサミシイ。
 
 青苗に入る少し手前で、松江・初松前の集落も見てきた。
 ここは、北海道南西沖地震のときの津波痕跡高が16.1メートルもあったところで、そこにはいま高いところで11メートルにも達する防潮堤が2.5km以上もつづき、川には津波水門が設けられている。
 
 人家はその上、後方に建ち並ぶわけだが、ひっそりとして出歩く人の姿を見かけなかった。

 一島一町の奥尻町は、2015年3月調査の「日本の地域別将来推計人口」で、若年女性人口変化率-86.7%。これは道内ワースト、全国でも4番目というコワイ数値で、ちなみに2010年の総人口3033人のうち若年女性人口202人、これが2040年には総人口1064人のうち若年女性人口はわずかに27人と予測されている。
 しかも、この予測数値を裏書きするように、2014(平成26)年の総人口は2926人と、すでに3000人をきってしまっているのだ。
 「どうする奥尻」の重大事態といっていい…。





*写真=上段、(上)は笑顔が元気いっぱい青苗小学校の女子生徒たち、(下)は津波対策バッチリの青苗小学校校舎*
*写真=下段、(上)は青苗川の津波水門、(下2枚)は延々とつづく松江・初松前地区の高い防潮堤*