どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《3.11》2014晩夏の巡礼-5・6日目-福島~江差/“十五夜の月”をめぐって…離島は-20%

-No.0393-
★2014年10月19日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1319日
★オリンピック東京まで → 2105日




◆離島に訪れるリスク、離島に暮らすリスク

 9月8日。
 福島町の、かみさんの実家に、このたびは、わずか1泊。

 それは、このたびのスケジュールに、奥尻島を訪ねることがあったからだった。
 離島を訪れる、離れ島に渡るということは、それだけで陸続きのどこへ行くより、すべてが面倒、すべてが物入り。
 そこが「島」というだけで、少なくとも2割はマイナスになる。

 たとえば、離れ島への船便は、少ない。
 まぁ、たいがいは、よくて日に2便。離島の生活を支えるその2便はとうぜん、島民の利便に添って、朝夕になる。朝は早い。
 したがって島に渡る島外の者、旅人などは、船の出る港の町に、少なくとも1泊する必要が生じることになる。
 しかも船には、ほかの交通機関に比べて“欠航”のリスクも多すぎるくらい、つきまとう。

 だから、高齢の義兄の家には、このたび1泊しかできなかった。
 その日が「十五夜」であることは、義兄が用意していた「十五夜セット」の供え物一式で判った。
「さすがですねぇ」
 ぼくが目を丸くすると、義兄は照れたように笑う。
「いやぁ、今朝、日めくり見て気がついてね、買ってきたわけさ」
 
 義兄の家業は、昔ながら薬店で、土地の在りようは京都の町家みたいな「うなぎの寝床」。
 せっかくの月見を愉しむ縁側とてない。
 久闊を叙しての酒に紛れて、ついにその晩は月を見ずじまい。

 あくる9日の晩、奥尻島へ船待ちの江差の宿で、一夜遅れの月を眺めた。
 オクレても十五夜、黄色がほっかり金色に映えるいい月だった。

 この月への思い入れには、わけがある。
 江差の町についてからのボクらは、けっこう忙しかった。
 
 まず、島通いの船が出る港に行って、済ませておいた予約の確認。
 さらに、ネットでは予約ができなかった車両航送の是非を問う。
 離島のようなインフラ航路では、住民の利便を優先する必要上、車輛の航送にもそれなりの配慮・融通があるのダ。
 港で、その日その時の、やりくり都合がある。
 場合によっては身一つでの渡航、島内ではレンタカー利用も覚悟していたボクらだったが、僥倖、マイカーもともに渡れることになった。

 つぎに、ぼくらは、コインランドリーを探す。
 旅の前半を終えて、洗濯物が溜まっていた。
 昨日の義兄の家では、団欒優先、洗濯にまで手がまわらなかった。

 コインランドリーも、地方では探すのに苦労することが少なくない。
 やっと町はずれに見つけて、安堵のため息。
 そうして、ようやく二人で好きな酒を傾けながら、一夜遅れの月見であった。
 ご褒美の、いい月…。

 実際、その明月の夜は、明日、なんとかぶじ島に渡れることを約束してくれそうなものだったわけだから、いやでも印象はつよい。
 ぼくは、どうやら昨日あたりから〈ぎっくり腰〉気味の腰痛に悩みつつ、それでもオオカミ男さながらに「ワオゥ~ッ」と叫びたい気分にいつのまにか浸っていた。