どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《3.11》2014晩夏の巡礼-3日目-②新山高原(補遺)/想いだす「種山ヶ原」の風のこと…

-No.0390-
★2014年10月16日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1316日
★オリンピック東京まで → 2108日

文科省が12日に発表した2013年度「体力・運動能力調査」結果によると、格差拡大の経済状況とは裏腹に、子どもから高齢者まで、体力向上は“右肩あがり”の好調をキープ。とくに65~74歳女性の伸びが著しいという。これはぼくの身近でも実感できること。高齢者でも、女性のほうがよほど元気だ*




◆「風の又三郎」がよく似あう

 種山ヶ原を訪ねたのは、2012年夏の巡礼。
 この年は、もっとも巡礼回数の多かった年で、春・梅雨・夏・冬と4度も出かけた。
 《3.11》から1年目のこともあり、被災地はまだ五里霧中の最中だったし、ぼくも心もち急かれていた時期だった。

 「森を見よ」と、ボクは思った。
 「沿岸」が「木」、「後背」が森。
 “微視”には“巨視”をもってせよ…で、このときは意識的に、被災沿岸部と後背の山間部を行き来した。
 石巻から、世界遺産の平泉に退いた後、種山ヶ原に上り、それからまた沿岸部へと下って行ったのだった。

 種山ヶ原(種山高原)は、岩手県奥州市遠野市・住田町にまたがる“風の原”。
 物見山を囲むように広がる600~870メートル、東西11キロ・南北20キロにおよぶ高原地帯は、宮沢賢治の理想の大地“イーハトーブ”でもある。

 ここへは、定期的に通う公共交通機関がない。
 したがって、観光地とはいいがたい環境も、幸いしているのかもしれない。

 ぼくらは、東北道の水沢インターから国道397号で駆け上がり、高原の深い草地を分けて、しばらく遊んだ。
 〈鬼ごっこ〉にも、〈かくれんぼ〉にも広すぎる天空のもと、だれも、しまいには、大の字になってひっくり返ってしまうしかない緑の大地だった。
 仰ぎ見る顔のすぐ上や脇を、いたずらな風が筋をひいてからかう。

 境を接する3市町のうち、この賢治世界の大地に、いちばん熱心なのは住田町。
 《3.11》の後、自慢の森林資源を活かして木造仮設住宅をたくさん造り、沿岸被災地の人たちに提供した町には、ふさわしいステージに思えた。
 町はここに、道の駅「種山ヶ原ポラン」と、集会施設「森林ランド種山」をもっている。

 キャンプ場がうれしいのは奥州市の「星座の森」。
 コテージと、カーサイト、テントサイトを備え、中心になる広っぱに『風の又三郎』イメージの少年の像が、風に向かって立っていた。

 とにかく、風と草ばかり…ほかには、みごとに、な~んにもない。
 心にまとわりつく、なにものもない。

 ぼくは、ふと、陸前高田や釜石や、大槌や山田の子らは、種山ヶ原に遊ぶことがあったのだろうかと思った。遠足でも、林間学校でもいい、この高原の風を浴びることも、またとない経験のひとつ、心の支えになるだろう、と思ったからだった。

 そのときは、新山高原のことなど知る由もない、ボクだった。

*写真、(上)は緑の風わたる高原「種山ヶ原」、(下左)は「風の又三郎」像、(下右)はキャンプ場「星座の森」*