どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《3.11》2014晩夏の巡礼-2日目-④鵜住居/“花っこ隊”の母さんたち

-No.0384-
★2014年10月10日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1310日
★オリンピック東京まで → 2114日

*「スーパームーン」と期待をふくらませた8日晩の“皆既月食”、三脚にカメラを据えて待ち構えたのに、わが家のあたり町田では、厚い雲に阻まれ、むなしく空振りにおわった*








◆ようやく見えてきた再建、希望の明かり

 “花っこ隊”という手芸のグループが、鵜住居(釜石)にある。
 メンバーは手仕事の身に着いたベテランの母さんたちだが、名称は娘っぽく“花っこ隊”。
 そのとおり気分は娘っぽく、若やいだ気分の集まりだ。

 《3.11》のあと、仮設住宅での生活が始まった頃から、各地にさまざまな手芸のグループワークができていった。
 趣味のグループもあれば、商品になるものを作って励みにするグループもあり、こうした活動の多くには、被災地の生活支援をめざす人たちの協力、働きかけがあった。

 なぜか、みな、母さん婆ちゃんたちの集まりだった。
 彼女たちには、井戸端という社交の場に、なじみがあったからだろうか。
 たくみに、その場を活かすことができた。
 そこが、男はどうも、うまくない。
 井戸端の座もちが苦手のようだった。

 “花っこ隊”も、そんな手芸グループのひとつ。
 メンバーが手技にすぐれ、積極的な人たちでもあったから、進んで商品づくりに励んだ。
 指導と材料の調達、販売支援には、都会のデザイナーや手芸作家のグループと、その仲間たちが取り組んだ。

 仮設の集会所に週に二度、顔をあわせて、おしゃべりしながら日中いっぱい手仕事をする。
 作るのは、さまざまな布製のシュシュやヘアゴム、ブローチなど。
 手技もスキルアップ、いまでは“刺し子”にも熟達して、好評を得ている。
 “売り子”を買って出て熱心な、若い女性陣の応援・声援もおおきい。

 “花っこ隊”の活動が始まって、2年半あまり。
 ぼくらも縁あって協力陣に加わらせてもらってきた。
 …といっても、ここではもっぱらカミさんの出番。
 ボクの方は、せっせと笑顔を誘って写真屋さん。

 そんな“花っこ隊”に、曲がり角がきた。
 折しも、このたび訪れた頃には、これまで瓦礫撤去痕の白っぽい広がりばかりだった風景に、こんもり盛土のあらわれた変化が、ようやく復興の兆しに見えた。 

 メンバーの一人が、仮設をあとに、わが家暮らしに戻っていった。
 彼女の住いは、かろうじて津波にもっていかれずにすみ、修繕の手を入れればよかったから、ほかの人よりも早く動くことができた。
 みんなよろこんで送りだしたのだが、それがきっかけ、みたいになった。

 つくり手の中心だったSさんの、ご主人が病気で入院、看護に通うSさん自身も体調をくずした。
 もうひとりの世話役、Kさんも交通事故にあい、むちうち症に悩んだ。
 自然、「そろそろ潮時かな…って」という話しになった。

 弱気がでた、こともたしかだけれど、そればかりではなかった。
 あのときのことを、想いだしては涙の日々から、明るい笑顔をとりもどしていった“花っこ隊”。
 手芸のグループワークに癒され、紛れてきた気分をかえる、次へのステップのときがきていた。
 
 “仮設”の暮らしから、一日も早くもとの生活に戻ること、誰にしても再出発がすべてだ。
 復興がなかなか進まない、じれったさに耐えながら、ここへきてようやく見えてきた、再建への希望の明かり。
 縫い針を進める手が、ふと、気もそぞろになっても、やむをえない。

 仲間の一人が再出発をはたしたあと、Kさんにも、待ちに待った生活再建のときがきていた。
 そのよろこびのおおきさが、痛いほどわかる仲間に、でも、やはり共有はできにくいことだった。

「いいときに、大阪へも行かせてもらったし…」
 Sさんの言葉に、気もちのくぎりが、はっきりあらわれていた。
 イベントに招かれ、遥々でかけて行ったことも、いまはいい“想い出”になっていた。
 
 支援してきた都会の、若い女性たちのグループからは、「潮時」を惜しむ声がある。
 「ここまできたものを…」なんとか継続できないか、という気もちが、つよくある。
 それも、わかるのだ。
 
 この《3.11》の一大事は、多くの都会人の胸を、揺すり、動かした。
 多くの若者たちにとっては、不安定な日常をのりこえ、みずからの存在証明にもなった支援活動だった。
 だから、失いたくない。
 それは、ぼくら爺っちゃ婆っちゃにも、同じくある。

「じぶんは、いちばん後に、仮設をでる」
 大槌町の復興に懸命な、臼澤良一さんは、そういった。
「ぼくは、いちばん後まで、見とどける」
 継続する力の在り処は、きっと、ほかにない、訪れつづけ、繋がりつづけること。

 〈ボランティアは究極のお節介〉なのだから…。

*写真、(上)はいちばん最近の“花っこ隊”の皆さんとウチの婆っちゃ、(下左)はこのたびカミさんがプレゼントに持参した布製フォトフレーム(フルメンバーの写真入り)、(下右)は鵜住居の町でも姿を見せはじめた復興の“盛土”*