どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

観測態勢や避難設備の不備&遅ればかりが言われる/民心にも報道にも謙虚な視点が欠けてはいないか…

-No.0378-
★2014年10月04日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1304日
★オリンピック東京まで → 2120日




御嶽山の噴火…自然災害について想うこと

 まず、このたびの自然災害で亡くなった方々に黙祷を。

 木曽の御嶽山の噴火があった初めに、ボクは「被害は予想以上のものになるだろう」といった。
 予言したわけじゃないし、そんなイヤラシイことは嫌いだ、けれども…。

 これまでの事態の経過は、ザンネンながら、その方向にむかってしまっている。

 人気のお山で、高山のわりには楽に登れるイメージがあり、ちょうど紅葉のシーズンでもあった。
 「入山カード(登山届け)」の提出なんて「なんのこっちゃ」というのが、まぁふつうの人の考えではないか。

 ニッポンでは、登山に(国民的合意としての)ルールがない、個々人の良識に任されている、世界でも有数の火山列島国だというのに。
 自然を“征服する相手”と観る欧米人に対して、自然を“畏れ敬い”“共生する”民族だったはずなのに。
 それでも時代はかわり、人々の意識から自然災害に対する危機意識は薄れつつあり、それがどれほど“無謀”なことで、“困ったこと”であるかは、すでにはっきり認識されていたはずなのに。
 それも、まだ経験の足りない若輩たちばかりではなく、いい年をとったはずの熟年・老齢者にいたるまで、すっかり蔓延した意識障害ともいえるほど深刻な事態だというのに。

 また「人の所為にばっかり」を繰り返すのか…。

 新聞やテレビの、ことの本質から“ズレ”た報道ぶりが、それを助長することになっているのもヨクナイ。 
 いっぽうで、いつもながらの悲劇ムードに片寄せ、いっぽうでは観測体制の遅れや、避難対策・設備の不備などが、話題をかえて指摘される。
 オカシイんじゃないか。

 たしかに、原子力原発関連ばかりが注目を浴び、ほかの、自然に対する研究や観測が不備であったり、遅れていたり、ということはあるだろう。
 シェルターなどの避難設備が充実していれば、いくらかの人命救助にはなるかも知れないが。

 しかし、そっちばかりに目を向けて、肝腎の人心のほう、危機意識、自然との付きあい方、マナー、ルールといったものが、ないがしろにされたままでは話しになるまい。

 こんどの御嶽山噴火でも、じつは、非常事態を的確に認知・把握、すばやく行動に移して、それこそ「ましら」の如くに山を駆け下りた山人、人知れず幾人かの登山者の救いになっていた者があったはずなのだ。

 そんな強者〔つわもの〕ばかりの山ではない、のはわかっているが。
 それなりの気持ちの備えくらいは、なければなるまい。
 ほかの災害場面でもおなじ、〈備災〉があっての死なら、仕方がない。
 人は、それくらいの尊厳をもって、しかるべきなのではないだろうか。

 この壮大な宇宙の、地球という“奇跡の星”に、命をあたえられた者ならば。
 自戒と、謙虚さとをなしに、自然に対することはできないはずだ。