どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《3.11》2014晩夏の巡礼-1日目-②筆甫(続)/タバコの花が…火の点いた煙草のように赤い

-No.0375-
★2014年10月01日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1301日
★オリンピック東京まで → 2123日




◆筆甫の谷間でタバコ畑を見つけた

 山峡から里へとくだる道の通りすがり。
 目ざとく見つけたタバコの花、シガレット(紙巻煙草)の先に火を点けたような情景に、ボクはさからえないものがあったからだった…。

 ずっと以前に『史上最大の作戦』(1962年、アメリカ)という映画があった。
 第二次世界大戦連合国軍によって行われたノルマンディー上陸作戦のオハナシ。
 迫力ある戦闘シーンで魅せてくれたなかでも、圧巻だったのが空挺部隊による落下傘降下作戦。
 
 そのワン・シーンに、小粒ながらキラッと光る場面があった。
 夜の闇にまぎれて行なわれた落下傘降下、作戦に参加した兵士たちの身には、さまざまな運不運の綾があったわけだが。そのエピソードのひとつ。

 ドイツ軍の迎撃を遁れ、なんとか無事、地上に降り立った兵士の一人が、ホッと安堵の一服。
 シガレットに火を点けた、その仄かな灯を狙った敵兵の銃撃にあって、兵士はあえなく命を落とす。
 映画はモノクロだったから、煙草の火はチカッと微小な閃光のようなものだったわけだけれども、ぼくの記憶には(赤い火)としてのこった。

 それを想いだしたのは、「煙草は国分」と謳われた鹿児島県国分のタバコ畑で、茎の先端に群がり咲いた漏斗状の花の、白い筒っぽの先に滲みでたような赤を見たときだった。ちょうど暮れなずむ時刻の、ころあいもよかったのだろう。
 なお正確にいえば、そのタバコの花の赤もじつは、盛りをすぎて萎みかけた濃き色あいであったのだが…。

 とまれ、このときからボクは、エキゾチックな香りのするTabacoに格別の思い入れを抱くようになった。

 「タバコ」がアンデス原産の亜熱帯性植物ということは、50センチから2メートル50センチにまで成長するスックと伸びた茎の長さ、5センチほどもある太さ、長さ20センチから60センチ、幅10センチから30センチにもなる葉の大きさからも明らか。

 有毒と習慣性の強いことでも知られるニコチンを含む、葉の数も多くて30枚から60枚。そのうち使いものになるのが約60%で、上に着く葉ほどニコチンは強いという。
 開花した後の花芽は、葉の成熟をよくするために摘み取るのだと、栽培農家の人から聞いたことがある。

 タバコの日本への渡来は江戸時代。はじめは九州を中心にして栽培が広まっていった。
 いま国内で生産されるタバコは、契約農家が収穫する葉タバコ(タバコの葉)の全量を、JTが買い取ることになっている。そのためJTは「葉の1枚1枚を数え記録して他所へ流出するのを防いでいる」という、マコトシヤカなことまでいわれたことがあった。

 そのせいかと思うが、ボクなど、なるほどナス科の仲間とわかる葉の、表面をそっと遠慮気味に撫でてみたことがあるだけで、それ以上の探求は遠慮したままになっている。
 タバコの葉っぱの表面には、特有のニオイをおびた液を分泌する細胞があるのダそうだ。

 この葉を、乾燥して出荷するまでが農家の仕事。
 あとは日本の場合、JTが一手に引き受けてブレンドや香味づけなどをして、ご存知の独占販売。貴重な税収源になっているわけ。

 法令でいう「製造たばこ」、日本では一般に「煙草」、中国では「香煙」。古くは日本の作家先生たちなどに「莨」という字が好まれたこともあったな。

 ぼくはといえば(いまだからいえるのだけれども…)、高卒前からその香味を嗜み、「噛みたばこ」や「嗅ぎたばこ」、「水たばこ」の経験こそないものの、「葉巻」「紙巻」、バチあたりにも英語の辞書を破っての「手巻」もやれば、一時期は粋がって「パイプ」、気障になんと「煙管〔きせる〕」まで。

 やがて「紙巻」一途になってからは「両切ピース」、のち唇の痺れで「ロングピース」になったものの、一日に40本以上のヘビースモーカーを20年余りダ。
 思い入れが強いのはアッタリマエでしょう。

 そんなボクが……。

 きっぱり煙草をやめる気になったのも、じつは、タバコの花だった。
 あれほど思い入れて美しかったスリム美形の花が、あるときなんと、醜悪きわまりない爛れ花に見えてしまった…あのおぞましさ(ぶるるっ)。

 自身ビックリだった“恋人との訣別”、永訣の禁煙は2007年の夏。

 それよりしばらく前から、差別的に扱われはじめた“喫煙族”の囲い込み。
 いま見る「喫煙コーナー」の奴隷的とさえ思える侘しさを見るにつけ、淋しがり屋のボクなどは(心中なみだまじりの)ホッと溜息をもらしている。