どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「ふるさと回帰フェア」に想う都会人のため息/  「地方消滅」も「首都沈没」も怖いニッポン

-No.0368-
★2014年09月24日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1294日
★オリンピック東京まで → 2130日






◆「ふるさとは遠きにありて…」さぁどうする

 21日の日曜日、秋晴れのおでかけ日和。
 会場は、そこそこの人出で賑わっていた。
 (そこそこというのは、もみあうほど混んでもいないし、閑古鳥がなくほど寂しくもない程度のことだけれど…ほんとうはもう少し熱気がほしい催し)
 丸ノ内・東京国際フォーラムの「ふるさと回帰フェア2014」。
 多くの人出が見込まれる昼前どき。
 「都会に未練なんてない!!」ぞ、の呼びかけに、「オォ」と応える逞しさには、残念ながら(予想したとおり)ちょいとものたりなかった。

 だって現実は、どう考えたって、「のんびり田舎暮らしもしたいけど、なにかと便利な都会暮らしに未練はたっぷりだし、まだまだ贅沢な夢の世界みたいなもんだよなぁ」。
 会場には、どう贔屓目にみても、これからの次代を背負う若い人たちより、ボクら年寄り世代の方が多い。
 回帰は若者のもの、回顧(懐古)は老人のもの。
 
 会場には、神奈川県と愛知県をのぞく45都道府県から、230を超える自治体や団体が出展参加。また別に、北海道の新得・上士幌・厚沢部3町が合同で開く独自の「魅力発信フェア」もある。
 …けれども、多くのブースに見かける人待ち顔には、拍子抜け、あて外れの戸惑いが隠せない。

 いくつかのブースで、「もっと若い人に来てほしかったでしょ」と水を向けると、「はぁ」と正直な声があって、その後すかさず「でも…とにかくまず知っていただくことですから」と、そこはさすがにソツがなかった。
 「地方の時代」などと持ち上げる声を聞く割には、総じて地方には冷たい現実がある。ボクなども、いまだに都会を離れきれない。
 全国区で名の知れた地方の市町村は、ごく少数にかぎられるし、平成の大合併の所為で名前と成り立ちにギャップが生じてしまったところも多い。

 それぞれに「ふるさと暮らし相談コーナー」を設けて応対にあたる各ブースではあるものの、明らかに「移住の相談に来た」ふうの若年カップルや、家族連れを迎えているところは少なく、観光相談の話しにのっているケースの方が目だって見えた。
 ついでに、特産品の即売に人気があるのも、いつものとおり。

 ただ整然と、細かく区割りされたブースに吸引力が乏しいうえに、展示にも、もう一工夫の凝らし方がたりないと思う。
 主催の「ふるさと回帰支援センター」によると、都会から地方への移住希望者は年々増えているそうだが…ならば、もっとアイディアたっぷりに、盛り上げられないものか。

 ただ…こうも思いなおすのだ。
 「地方の生きのこりが危うい」いま、この現状を乗り越えて行くには、とにかくいいと思ったことはやってみる、やりながら手法のレベルアップを模索していく。
 (それにしても、この手の催しの、一向に進歩の見られないのが歯がゆい。20年も30年も前からまるで変わり映えがない気がする。地方の人それぞれが、自分たちの地方を信じていないのではないか…と思いたくなるくらいダ)
 
 ぼくが話を聞いた市町村のなかでは、たとえば…。

岡山県真庭市の取り組みがキラリと光っていた

http://www.e-maniwa.net/

 真庭市は、中国山中にあって、観光的には蒜山高原湯原温泉を擁する。
 ベストセラーになった『里山資本主義』(藻谷浩介・NHK広島取材班著、角川oneテーマ21文庫)で、その自信に充ちた「安心暮らしの原理」と、さまざまな工夫やアイディアで独自の地方主義を培ってきた。
 現在は、「バイオマスツアー真庭」など、さまざまな企画をとおして地方再生の先頭に立つ気概を示しているところが、なによりの“元気印”で気もちがいい。
 (せっかくブースに伺ってお話しを聞いたのに、話しに夢中になって写真を撮り忘れてしまった)
 ボクも、近いうちに「訪れてみよう」気になっている。

 もうひとつは、日本海に浮かぶ隠岐の島の海士〔あま〕町(島根県)。
 「おかみ主導のやりかたではうまくいかない、大事なのは地方の自主性だ」と、明快な気概をもつ町長のもと、さまざまな取り組みで町外からの移住者を増やした動きにボクは興味があったが、ざんねんながらこの町は出展参加していなかった。
 
 9月21日は、国連の「国際平和記念デー」だった。
 この日にはニューヨークの国連本部で、日本の民間団体から寄贈された「平和の鐘」が鳴らされている。
 それにちなんで観光のまち岐阜県高山市では、「平和でなければ自由な旅もままならない」思いを込めて、この日を「平和の日」と定めた。
 こうした都会ではむずかしい細やかな気くばりも、地方ならではといっていいだろう。

 ボクは以前、地域振興の講演を頼まれたときに、当時はやっていたコマーシャル・メッセージの「なにもたさない、なにもひかない」気構えでいてほしい、という話をさせてもらったことがある。
 自分なりの良さ、自分だけの持ち味は、ひとに指摘されてはじめて気づくことがあるとしても、結局は自分がいちばんよく知っているわけだから、他人真似なんぞしちゃいけない趣旨だった。
 これまでは、いまでもお目にかかることが多いけれど、イヤになるほど真似ん子ばっかり、どこでもおんなじ、情けない。

 養老孟司さんは自著『「自分」の壁』(新潮新書)で、地方再生には「都市に住む人に、年間数か月は田舎に住むことを義務付ける」ことだと指摘、それを「参勤交代」と呼んでおられる。
 ボクにも同じ思考回路があって、ずっとそれを言ってきたけれど、いっぽうで自身には「旅こそ個人の自由意思の発露」という信条があったから、いまひとつ魂が籠もっていなかったのだが。
 地方がうしなわれゆくばかりの現状を前にしては、もはやそんな猶予もない、都会から地方への「参勤交代」制しかないのかも知れない、気もするのダ。