どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

眩白のランニングシャツにパンツ姿の若き“健脚”/ 聖火の最終ランナーは高い石段を駆け上がり…

-No.0362-
★2014年09月18日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1288日
★オリンピック東京まで → 2136日




◆聖火台に点火した青年はボクと同い年

 昨日につづいて、スポーツ話しをもうひとつ。
 ボクの《3.11》巡礼中の10日に、坂井義則さんが亡くなった。

 1964年、東京オリンピックの聖火、最終ランナー。
 彼は、1945年8月6日、広島に原爆が投下された日に、同県三次市に生まれている。
 高校時代の国体陸上競技、400メートルで優勝。
 早稲田大学に入学した年のオリンピックは、日本の戦後復興を世界に向けてアピールする大会。
 彼が、聖火最終ランナーに選ばれることになった決め手は、誕生の奇縁。
 たしか「運命の大役」と報じた新聞もあった。

 こんどのTOKYOオリンピック開催が決まったとき、ぼくは1964年の記録映画『東京オリンピック』(市川崑監督)を録画で、もういちど観た。
 印象に深くのこったのは、開会式のこの聖火点火の場面と、(男子)マラソン(当時はまだ女子マラソンがなかった)のアベベの強さと円谷の必死…であった。

 この夏に解体が始まった国立競技場の…。
 向う正面に“厳”と立つ川口鋳物製の聖火台に向かって、アンツーカーからスタンドへと真っ直ぐにつづく石段を、最終ランナー坂井くんは(こけるなよ…と案ずる大観衆が固唾を呑むなか)しっかりとした足どりでピッチを刻み、白煙を斜め後ろになびかせながら駆け上がって行った。
 その姿、まさに“健脚”。
 聖火台脇に立った白いランニングシャツにパンツ姿の青年は、ニッポンの復興を眩しく体現して見せた。

 坂井義則さんは行年69。
 競技人生では、アジア大会でメダリスト。

 ボクは、彼と同じ年、同じ月に生まれ、日は10日ほど遅かった。
 カレは「広島原爆の日」に、ボクは「終戦の翌日」に…。