どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

テニスを〈乙に澄ました競技〉からスポーツへ/  錦織圭…全米オープンテニスで準優勝の快

-No.0361-
★2014年09月17日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1287日
★オリンピック東京まで → 2137日




錦織圭のスポーツ・テニスにグッドラック

 ぼくが《3.11》被災地東北巡礼の旅をしている間に、全米オープンテニスの男子シングルスで、錦織圭がアレヨアレヨという間に決勝まで勝ち上がり、そうして(やっぱり…)あっけなく、きれいに敗れた。
 しかし、たいしたもんダ。とうとう、ここまで来たネ。

 体力面の課題を指摘されつづけた彼だけれど…。
 全米のファイナルでも、最後は相手のパワーに屈したけれど…。
 彼が日本のテニス界のスポーツ化を成し遂げたことに、敬意を表したい。

 日本のテニスは長いこと、お嬢さま・坊ちゃま界のものだった。
 いまの天皇陛下の、美智子皇后との出逢いも「軽井沢でのテニスがご縁」と騒がれた。
 かつて田園コロシアムで、デヴィスカップなどの国際試合を観戦しても、ほかのスポーツの試合とはどこか違っていたものだった。
 お座敷に招かれたようなふんいきがあって、ちょいと気づまりふうでもあった。

 かつての短編映画に、テニス観戦の態〔さま〕を観察しつづけた佳作があった。
 ボールやプレーヤーの動きはいっさいなし、「ポーン」「ポーン」というラケット打球音にあわせ、観客の目線と顔貌とが、右へ左へと“優雅”に動くだけの。
 こんな映像表現が可能なのも、テニスならでは…。

 実際には、かなりの運動量を要求されるスポーツでありながら、つねに“優雅さ”がつきまとっていた。
 (いまだって、かなり気どってはいますけれども…)
 スポーツ競技多々あるなかで、この特殊なムードはフィギュアスケートと好一対といってもいい。

 そんなテニスを、錦織圭という若者が、うちとけたスポーツにしてくれた。

 ただ、ヤッパリ相当なカネがかかることは確かと見え、彼には財界大物の個人的な支援者(スポンサー)がついている。
 とにかく、実力と同時になにかしら魅力もないといけない、スポーツもなかなかシンドイ世界なんだなぁ。