どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

名も知らぬ遠き島より…

★2013年11月12日(火曜日)
★《3.11》フクシマから →  978日
★オリンピック東京まで → 2446日





11月6日(水)、第62回(20年に1度の人の営みでこの回数は不躾ながらやっぱり半端じゃありません)式年遷宮行事を無事おえて、一段落の伊勢神宮へ。

 “お伊勢さん”詣りの道中には、陸路のほかに海路“舟参宮”もあったことがふと脳裡に浮び…。
 東の方、遠州灘が尽きる辺りから伊勢湾口にズイと張り出す渥美半島、先端の伊良湖岬からフェリーで鳥羽に渡ることにした。

 伊良湖岬が懐かしかったせいもある。
 ず~っと前の秋、伊良湖の旅では、案内してくださる方があって電照菊ハウス群の夜景に嘆声をあげたものだった。(現在はさほどでもないようだけれど)当時はここ渥美半島が葬祭用菊花供給の首根っこを押さえており、万が一出荷が滞りでもしようものなら築地本願寺級の大葬儀に支障をきたすことになるとかで、「そんな豪勢な葬儀の本人になってみたいもんだネ」などとバカな冗談口をたたいたりしたのを思いだす。
 翌日のからりと晴れた碧空高く、10数羽のサシバ(小型の鷹)の群が波路の彼方めざして渡って行くさまに、ただもう溜息の感激もあじあわせてもらった。
 伊良湖岬は、“渡り”をする鳥たち蝶たちには格好の中継ランドマーク位置でもあるのだった。

 こんどの旅はドライブではない。
 東海道新幹線豊橋駅から先は路線バス。順調に走っても90分、ちょっと途中でひっかかりでもあれば2時間はかかってしまう長行程。
 半島を延々と行く悠長さでは、ぼくの知るかぎり四国は愛媛県の佐多岬と双璧であろう。
 しかも、佐多岬の方には津々浦々めぐりつつ行く変化の楽しみがあるが、この帯を展げ延ばしたようなぺったらこい渥美半島にはそれがない、べた平板。
 バスの走る道筋はずっと太平洋岸からは離れたまま、車窓からは途中わずかに三河湾の海が望める程度なのだった。

 飽きる…から、多くの乗客がとうぜんのように眠る。だが、ぼくは寝ない。
 その土地土地の風光を眺め、暮らしぶりの匂いをかごうとする。
 どこへ行ってもいまは、地方交通バス路線のルートに 拠点病院への立ち寄りがかかせない。
 車椅子の高齢患者がおぼつかない足どりで乗ってくる、付き添いも同じく高齢だから車椅子は荷が重い。バスに積み込むのを手伝ったりしながら、ニッポンの現状をたっぷり感じて行く。

 そうしてようやくに、伊良湖岬の浜に着く。ここまで乗って来る人は少ない。
 そこはかつて歌曲『椰子の実』で知られた。
 島崎藤村による作詩は明治33年のむかし。
 その頃、この浜への遠路遥々を思えば、まさに「流離の憂い」であったろう、椰子の実に托した遠い想い、望郷の遠い遠い想いは、いまとは格別に違ったろうことがしみじみ偲ばれる。

 ところで、さて…。
 次は“お伊勢まいり”の順番だが…。
 その前にちょっと“旅ごころ”について、明日は寄り道させていただきたいと思う。

*写真、(上)は半島の尖端サシバ鷹やアサギマダラ蝶“渡り”の目標にもなっている伊良湖岬の灯台、(中)はすぐ目前の伊勢湾口に浮ぶ三島由紀夫『潮騒』の舞台にもなった神島、(下)は渥美半島の風物詩のひとつ電照菊のハウス群*