どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 厳冬の福島ぐるり旅【1】   −“会津っぽ”のこと…逃げるジュンサイ−







◆“東武”は田舎、“西武”は郊外


 日本海側の各地からは豪雪の便りしきり。初雪のあとも寒気団が居座りつづける首都圏。
 1月31日、早朝。まだバスはなく、最寄りの駅まで頼んだタクシーのタイヤがばりばり薄氷を踏んだ。


 浅草駅発8時、東武特急〈きぬ103号〉。座席指定の車輛が貸切に近かった。
 発車すぐに隅田川を渡る右手車窓、スカイツリーに見送られての旅立ちが、なんとはなしにウレシイ。
 ふと、深川の庵をあとに芭蕉が〈奥の細道〉へと杖を曳いた昔を想ったりした。
 それにしても、東武鉄道と聞くとそれだけで、なんとはなしに田舎くさいのはどうしてか…。
 いっぽう、西武鉄道の方のイメージは郊外で、たとえば雨の日の履物を連想しても〈レインブーツ〉、どことなくシャレている。
 それが東武の場合になるとゴムの〈長靴〉、どうにも泥臭い。
 けれども、これといってハッキリした理由はなくて…それがまた妙にオカシくも感じられる。


 枯れて乾燥しきった関東平野の、東に筑波山を眺めて行く。
 下今市の辺りから、田や畑の隅っこに雪の消えのこる風景となり、日光連山には雪雲らしい重そうな鈍色雲の塊がわだかまっていた。
 乗車2時間ほど、鬼怒川温泉駅で快速AIZUマウントエクスプレス号に乗り継ぐ。
 射しかけていた薄日もかげって、寒々、雪がわがもの顔になってくる。
 ぼく、雪は好きだが、寒いのはきらい。
 車室の内装に寛ぎのひとくふうを施し、会津観光誘致をもくろむ快速AIZUマウントエクスプレス号には、車内販売を兼ねた女性の説明接客係、アテンダントが乗る。
 ふだんは2両連結らしいのだが、オフ・シーズンのいまは1両きり。少ない乗客と、懸命に親睦をはかろうとするアテンダントと間に微妙な気分のずれが生じる。
 無理があるのは、無理もない。ぼくはとくに、こういう場面に遭遇するとムズムズ落ち着けなくなってしまう。


 まもなくの新藤原駅。レールは繋がっているけれども、ここで東武鉄道鬼怒川線から野岩〔やがん〕鉄道会津鬼怒川線になる。
 栃木県日光市今市から福島県会津田島へのルートとして計画された国鉄線が、第三セクターに引き継がれて完成をみた。
 「野岩」の名は、下野〔しもつけ=栃木の旧国名と岩代〔いわしろ=会津旧国名を結ぶ線路の意。「上越」「信越」など国鉄(現JR)に多かった路線命名法を踏襲したものだが、会津高原尾瀬口駅まで30.7km、トンネルの多い、ごつごつした印象(実際の沿線風景はそうでもないが…)となぜかぴったり息があって、忘れがたいネーミングだと想う。
 沿線は一気に銀世界。犬っころみたいに跳ねまわりたくなってくる。
 ぼくは、寒さに対しては猫の仔みたいに炬燵で丸くなりたいし、いっぽうで雪原に対しては犬っころ、欣喜雀躍なのだ。
 だから猫が好き、犬も好き、単純でちょっぴり気むずかしい…自分ではこれでも、思いっきりかわいいヤツなのだ。
 伐り開かれた山峡、雪の路盤を踏みしめて二本のレールがつづき、伸びるかぎりの先には、待つものがある。
 この絶大な信頼感は、なんということだろう。いつも、なんどでも、くりかえし考える、レールの不思議、大地と離れがたく結ばれた鉄道の魅力。
 ただの道とはまるで違う、二本のレールゆえの安定感、その敷設はまさしく文明の根幹、人物を産物を結び、文化を育む。
 もっぱら自家用車で移動するようになり、ふだんはほとんど利用しなくなっても、鉄道はあってほしい…という、わがままな欲求もその安心感からくる。
 しかも、在り方が適当で、気もちのいいものだから、人の心になじむ。
 そこが、おなじ文明の産物にしても、災厄を大規模に振り撒く原子力発電などとは、まったく異なるところではないか。
 大自然に対して、人工の儚〔はかな〕さにかわりはないにしても……。


◆旅のホンシツ、鉄道のシンジツ


 ぼくは、運転席の脇に陣どって、降る雪のなかをつき進む快感に軽く酔っている。
 子どもの頃から、こればかりはちっとも変わりがない。旅の本質には、進歩がないものらしい。
 近ごろは女性の鉄道ファンが多いと、いうのだけれど…。
 それは趣味の広がりという範疇に属するのもので、どうも男の本能的な気質に由来するものとはチガウように思われてならない。
 それはきっと、刃物に抱く男の本能的な気分と一緒のもので、女性で上手に刃物を研げる人が少ないこととも、無縁ではないだろう気がする。


 湯西川温泉駅はトンネルの中、松明をイメージした照明が“平家落人”伝説の地を演出していた。
 むかしは人里はなれた知る人ぞ知る湯どころ、両親とぼくたち夫婦とで湯治に来たころは、滞在中は布団敷きっぱなしにしておいてくれた宿も、ちょん髷の親爺が熊や鹿の肉を喰わせる店も、みんな藁葺きの隠れ里だった。
 その後しばらくして、ここも観光地参入の名乗りをあげ、その先頭に立った観のある老舗旅館の名物女将が、湯西川に秘境四国祖谷の吊り橋“かずら橋”を再現、冬は流れの向こう岸に氷雪の舞台を設けて“氷の祭典”を演出して魅せたことなど、懐かしく思い出した。
 山は雪を被って奥深い。五十里湖〔いかりこ〕は結氷した上に薄く雪化粧をしていた。


 長いトンネルをくぐって栃木県から福島県へ。
 レールは会津高原尾瀬口駅で、野岩鉄道から会津鉄道会津線に引き継がれる。
 会津高原尾瀬口という駅は、かつては会津滝ノ原といって、国鉄会津線の終着駅だった。さっきも触れたように、ここからさき栃木県の今市まで通じる予定の線路が、時代の趨勢で伸び悩み、ついに第三セクター化することでなんとか所期の目的を達したというわけだ。現在は、会津鉄道野岩鉄道ふたつの第三セクター路線が東武鉄道と結んで岩張っている、新日本鉄道事情の見本のようなものといえるだろう。
 沿線案内のアテンダントさんは、あいにく少ない乗客のノリもいまいち思わしくないところ、停車する駅々の仲間たちに声をかけかけ健気に明るい。委託駅には女性の臨時駅員さんの姿が見られ、無人の駅も少なくない。
 利用者には不便なことだけれども、旅人の勝手をいわせてもらえば、ときにはそれがより一層の旅情を添えて、じつにあじわい深いこともある…のだからホントこまったものだ。

 
 並行する国道121号・118号にはわずかに車の行き交いがあるけれども、沿線の家々に人の出入りする姿はなく…見たところただ閑かに眠っているかのようだ。ふと、
   太郎をねむらせ 太郎の屋根に雪ふりつむ
   二郎をねむらせ 二郎の屋根に雪ふりつむ
 三好達治の詩『雪』が想い泛んで、じぶんでもびっくりする。すっかり忘れていたような一節が、ひょこんと転〔まろ〕び出る不思議もだが、教育の影響力のこわさに首をすくめたくもある。この詩はぼくらの教科書にあった。
 

 西若松只見線と合流。
 磐越西線会津若松駅から上越線の小出〔こいで〕駅(新潟県)まで、深い深い山中の嶮路を辛うじてこじ開け抜ける135.2km。只見線という鉄道は、国鉄(現JR)にとっても沿線住民にとっても非常に〈重い〉。
 名うての豪雪地帯は、併行する国道252号、県境の“六十里越”が冬季閉鎖(ほぼ11月から5月いっぱい)になるほか、ひとたびなにかあれば通行途絶はしばしばのこと、極々赤字のローカル路線ながら廃止にはできない、もじどおりの命脈。このたびも≪3.11≫大震災のあと、巷ではすでに忘れ去られたかに見える夏の新潟・福島豪雨の被害甚大、懸命の復旧がつづいているが、いまだに会津川口−大白川間が不通のままだ。
 ぼくが、かつて挙行した“片道最長切符”のルートどりでも重要なポイントになった路線(それについては、また別の機会にくわしく書こう)だし、ぼくはこの線に乗るときはいつもきちんと〈非常時〉の心構えをする…といったらいいすぎだろうか。
 こんどの会津から浜通りへ、放射性物質拡散の流路も意識しつつの福島県めぐりは、ほんとうなら只見線経由で会津入りしたかったのだが、果たせなかった…そんな秘境の鉄路…には違いない。沿線の宿の主人も「そうですね、もうちょっとさき、初夏のころになれば、なんとかね…」といっていた。


◆雪で練り鍛えられた“会津っぽ

 
 会津若松の一つ手前、七日町〔なぬかまち〕駅で下車。
 無人の駅舎を借りて、みやげ店が一軒。
 昼。湿り雪、しきりに、降りしきる。
 鶴ヶ城に立ち寄ってみようと思った。
 会津バスに“まちなか周遊便”というのがあるのを、アテンダントさんから教わっていた。
 路線バスとは別に、飯盛山とか鶴ヶ城とかの見どころを巡回する設定で、時計まわり〈あかべえ〉と反時計まわり〈ハイカラさん〉の二コース。どちらも会津若松と七日町の両駅が軸になっている。〈あかべえ〉は民芸品の“赤べこ”イメージ。七日町駅からだと〈ハイカラさん〉が便利に使えそうだった。
 レトロな小ぶりのバスで、座席に腰掛けると向かいの客と膝が接しそうだが、狭い町中(しかも雪)では小まわりがきく。
 鶴ヶ城、雪しんしん。
 いっさいの夾雑物を覆い隠して、天守が裃の如く凛と肩を張る、思えば城というのはもっとも雪景色の似あう、みごとな墨絵の舞台なのだった。


 「会津っぽ」という。会津人、会津気質のこと。頑固者というか、意地っ張りというか、負けてはいない、ひけはとらない。
 敵愾心のむかうところは、いうまでもない長州・薩摩(なかでも長州がひときわ憎いらしい)、戊辰のあの会津戦争を忘れまい…というわけだ。
 話しには聞いていたことが、いざ現実になってみると、その凄まじさに魂消た。酒席で会津と長州が同席しようものなら、他郷の者が傍杖を喰ったり、否応もなしにオロおろハラはらさせられた。
 会津は「やるかね白面」はじめっから挑発的だし、長州は「山家はすぐそれだ」見下した態度で応じる。
 だからといって「勝手にしろよ、ばかばかしい」と放っとくわけにもいかないのが、じつに迷惑なことだった。どっちもけっして「口だけ…」ではないからだ。
 ぼくの大学の同期には、その“会津っぽ”と“肥後もっこす”東西の山猿が同居して、彼らの間では暗黙の停戦がなりたっていたようだが、どちらも酒癖がいいとはいえず、わるくすると股座〔またぐら〕を蹴りあげられかねないのが、まわりの連中の恐怖だった。
 ここにもう一枚“土佐のいごっそう”なんか混じった日には敵わないが、さいわいそれはなかった。

 
 ともあれ、いまはそれどころか、とにかく寒くてやりきれない。早々に撤退。
 “まちなか周遊”バスで軽く市内巡りの目論みも、雪の帳のむこうにきえた。
 バスの車中や、会津若松の駅でラーメン食べたり、土産の品を買ったりしながら、注意ぶかく観察したところでは…。
 どうもいまの会津の人となりは、一世代前のようではないらしいかった。
 雪で鍛え上げられた“会津っぽ”魂、時に練り上げられていまは古酒の味わい、角がまぁーるくとれている感。
 ただし、市内で酒席の一夜をすごしてはいないので、まだ油断はできない。


裏磐梯のエメラルド…じゅんさい

 
 午後2時すぎの磐越西線、快速電車で猪苗代駅
 バスに乗り換えて、この日の泊りは休暇村裏磐梯http://www.qkamura.or.jp/bandai/
 まだ日暮れには間があるというのに、空に、もう半月が凍りついていた。
 ふるえながら雪見の露天風呂。
 鉄分を多く含んで、ぬくぬくと温まる黄金色の湯にじわり、眠気さそわれつつ雪の会津の一日を振り返る。
 福島県を語るときに、よくいわれるのが〈会津〉〈中通り〉〈浜通り〉の区別。東西に幅広い県域を南北に連なる奥羽山脈阿武隈〔あぶくま〕高地とによって3つに分け、奥羽山脈より西の新潟県寄りを〈会津〉、ふたつの山地に挟まれた中ほどを〈中通り〉、阿武隈高地より東の太平洋側を〈浜通り〉とする。
 天気予報などもこの地域区分によるし、地元の人々によれば「桜は浜通りから咲きだして、中通り会津へと順にいくし、紅葉は逆に会津の方から浜通りへと下りてくるしな」と、断然きっぱりしているらしい。
 それが他所者には、わかりにくいから、そういうと、「なぁんでぇ…」みたいな顔をされるのがまた困る。ワカリにくさがずっと気になっていて、すっきりしないのも、便秘みたいで気色わるい。気候推移のわかりやすい時季に訪れていないからだろうか…。
 それがこんどは、きょう一日のこの大雪景色で、少なくとも会津の“日本海気候”についてはよくワカッタ。
 そうして今宵、宿りの磐梯高原は、青森湾夏泊半島から栃木の那須火山帯までつづく奥羽山脈中にある、というわけだ。北に安達太良〔あだたら〕、南に磐梯、どうりで寒い。どうりで湯けむり恋しい。
 風呂上がりは浴場脇、畳敷きに炬燵のコーナーで地ビールをグビリ…プハーッ。
 かみさんが「家にもやっぱりコタツがほしいわね」という。うむ。
 わが家では父母を見送ってからこのかた、横着になるから…というので炬燵を遠ざけ、他人にあげてしまっていた。
 そこへこんどの福島原発爆発さわぎに、つづいて列島こぞっての節電さわぎだ。
 炬燵復活、検討の余地あり、ということになった。


 夕食の一品に、裏磐梯産のジュンサイがうれしかった。
 蓴菜といえば秋田の特産とされているが、寒天質の粘液に包まれて内に巻いた緑の葉は小ぶりなほうがかわいらしく、その点では裏磐梯産に軍配があがる。
 ぼくはそのジュンサイ採りの実際を、箱舟に乗って見せていただいたことがある。
 おかしかったのは「ジュンサイが逃げる」話。ジュンサイ摘みは、水上に箱舟をゆっくり進めつつ、穀物用の織目の粗い袋に容れていくのだが、その袋にちょっとした穴でもあろうものなら、スルリスルスルと片っ端から逃げられてしまい、折角の収穫がパア…というのだった。
 その、かわいらしいジュンサイバレリーナ…)が、エメラルド色にほろ酔いの喉をくすぐった。酒が旨い。