どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「サザン」のお膝もと、茅ヶ崎海岸で…/     「若大将」世代爺っちゃの生シラス・ランチ

-No.2067-
★2018年05月20日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2993日
★ オリンピックTOKYOまで →  431日
★旧暦4月16日、十六夜の月・立待の月
(月齢15.6、月出20:06、月没05:32)








◆「爺っちゃの海岸物語」…

※目がゴソゴソして(うるさったくて…)、かなわない。かかりつけの眼科医に診てもらったら、麦粒腫(ばくりゅうしゅ=ものもらい)だと託宣され、点眼薬と塗り薬を処方してもらって帰った。うっとうしい…じつに。全治1週間ほどだろう、という。そういえば。「ものもらい」についても、いささか言いたいことがあったのだ…けれども、まぁ、それはまた、あとのことにして……

       ☆       ☆       ☆

 〝湘南〟を歩いてきた。

 「歩く」というのは、いうまでもない、動物としての本源的な活動である。
 だが、これが、なかなか一筋縄ではないのは、そこに自意識というやつが介在するからだ。

 一方に「歩こう」と心がける者があり、片やには「歩かないと気もちがわるい」者がある。
 ただ、それだけのこと…か、というと、これもなかなか、さにあらず、で。

 この立場の差は、結果として、大きな運動量の差をもたらす。
 「歩こう」派が趣味的あるいは努力目標的であるとすると、「歩かないと気持ちわるい」派は必然だから、そこに歴然の差があらわれるのは必然ということになるのダ。

  ……………

 ぼくは、すでに、このブログでも明らかにしてきたとおりの「歩こう」派である。
 あらためて「歩こう」気分にもっていかないと、一歩も歩かない。やっかいな奴めだ。

 中学・高校時代の友に、Sくんという、根っから「歩くのが好き」タイプの、「歩かないと気もちわるい」派の仁がいる。
 同期会などで、顔をあわせると「歩く」話しになる。
 どうも、ぼくに、分〔ぶ〕がない。

 …と感じるのは、ぼくが、これでもいっぱし<活動派>であり、自他ともに認める<元気印>であるからだ。
 それでいて、「歩こう」と思わないと、歩かない。
 したがって、Sくんのようには歩きに精がでない、歩きでいまひとつ稼げない…憾みがあるのだった。

  ……………

 そこで、昨年の暮。
 同期が集う恒例の酒席(同期が営む神田司町の酒場「みますや」)で、Sくんに申し出た。
 「大山(詣で)を、同期を誘って歩いてみないか」と。
 計画してくれまいか…そのことであった。
 しごくとうぜんにして、快諾をえた。

 これ、じつは…
 ぼくのコトバには、ウラに含みがあって。
 「大山詣で」が主眼なのであり、そのじつは、名物の豆腐料理かなにかで一杯やる…のに、かこつける名目ってやつ。

 ぼくの若き日に、板場の経験があることは前に記したけれど。
 そのときの<包丁の師匠>だった人が、浅草三社(祭りの)神輿会のなかでも、とびっきり鯔背〔いなせ〕な<先棒とり>が自慢というやつで。
 かれら仲間のたいせつな行事に、年始の「大山詣で」があった。
 粋な着流しに祭半纏羽織って、手には大島(紬)かなんぞの煙草入れ(袋)…(よっ、いいね!)ってやつ。
 いちど、ご一緒させてもらいましたっけが、気もちのいい連中に男がホレた。

 そんな情景が、アタマにあったわけで。

 だから、歩きたい(歩ける)者は登拝するもよし、歩きたくない(歩けない)者は、麓の茶屋で待ってもかまわぬ…くらいのノリであった、が。

 Sくんは、いうまでもない、歩く(登る)ことに主眼をおいた。
 歩いた達成感のもとで一献かたむけよう…との趣向である。ヤラレた……

 Sくんには、シャイなところがある。
 同じシャイといっても、いじこけるほうのタイプではなく、いわばシャイニー・シャイとでもいうべきタイプに属する。

 つまり、ぼくのマケである、仕掛けそこねた。

  ……………

 〝代替わり・改元〟の年が明け、春めいてきて。
 Sくんから、秋の「大山歩き」の計画を言ってきて。
 「おおいに徘徊しておいてほしい」旨の、フレも添えられてあった。 
 
 ついでに、近々、少人数で「生シラスでランチ」の会をするんだけれど、「きみも来ないか」と誘われた。
 ちょうどハマヒルガオのピンクの花が見ごろだから、後で軽く茅ヶ崎海岸を歩こう…とも言ってきた。

 この季節の海辺、風を友にを歩くのもいいな…だったが、なにより生シラスにぞっこん魅かれた。
 
  ……………

 ぼくの母方の在は、藤沢宿である。
 お爺ちゃんの知り合いに、江ノ島の漁師さんがあったおかげで、稚い日、いっぱし湘南ボーイ気どりのガキは、投網を投げさせてもらって得意だったのはいいが、網が脚にからまって海中へ転げ落ちるという為体〔ていたらく〕…なんて不態〔ぶざま〕も経験している。
 
 長じては、腰越や小動〔こゆるぎ〕の浜へ、「生シラス」や「しらす干し」求めて買い出しに出向いたこともあるのだ。
 江ノ島の西浜に出れば、(ちょいと遠いとは言え…)茅ヶ崎は目と鼻のさき。

  ……………

 …てなわけで、誘われて出掛けた茅ヶ崎海岸。

 浜料理の老舗「えぼし」は、わが同期の神田「みますや」にも、どこか通じるところがあるような。
 寄り合いの席に集った同期生は、8名。
 コース料理にビールで、ひさしぶりの邂逅と、たがいの無事息災を祝った。

 自己<その後>紹介の必要がある、高校卒業から半世紀ぶりの同期生たち。
 ひとめぐりする頃には、この少人数でも、それなりの時間を要して……
 
 ぼくは、昼どきのアルコールにほろ酔いながら、生シラスと対面。
 現代版「かまとと」のもと〔・・〕になったお魚ちゃん。
 (むかしのは<蒲魚>で、蒲鉾を見て…これもお魚か?…というやつ。いまのは<小魚の黒く目立つ目を見て…お魚がみんなでこちを見てる…ってやつ)

 「白子」と書くより「白素」のほうがふさわしい、色素のない稚魚のことで、そのじつはイカナゴ・マイワシ・ウルメイワシ・アユ・ニシンなどの<稚児>が混在するもので。
 (たまぁに…タコやイカカニの幼生なんかも混じって、子ども時分にはそれが楽しみだったりしたものだが、きょうの鉢には見えなかった…)
 新江ノ島水族館の展示水槽にも見られる。

 塩茹でにして干したのが「しらすぼし」とか「ちりめんじゃこ」(茹でかげんによって別な呼び方もあるが…ここでは省略)とか呼ばれるもの、海苔のように板状に固めて干したのが「たたみ(畳)いわし」。

 ぼくが、店(鉄板焼き)の雇われ板前だったときにも海鮮を供したが、生シラスはもっぱら常連さん向けの季節の付け出し。
 料理はキホン、手をかけすぎてはイケナイものだ…けれども、生シラスというのには<工夫>がほしくなるもので、供する側にはこれがむずかしい食材。
 じつは、もっとむずかしい(…と思っているの)が「たたみいわし」の供し方で、これ一品を小七輪の炭火で手ずから炙り焼いてもらいながら一献かたむけて満足してもらえたら…これにまさるものはない、だろう。

  ……………
 
 そのシラスの漁獲が、年々、減ってきている。
 たとえば、かつては庶民の酒の肴だった「たたみいわし」が、いまは高嶺の花になっており、その加工にまわされる量も減る一方…いずれは幻の一品になるやも知れない趨勢なのだ。

 原発爆発事故の影響深刻な福島県沿岸では、イカナゴ不漁の深刻が報じられてもおり。
 本音をいえば、ぼく、シラスのような仔魚・小魚の類を、われらヒトが食い漁ることをヨシとしない。
 つまり「食物連鎖」という動物界のルールでいくなら、その頂点に立つヒトこそ、つつしんで生態系のとり〔・・〕たる身分をわきまえるべし…と想う者なのであった……

  ……………

 てな、あれこれの想いを追いつつ同期仲間の、自己<その後>紹介に耳を傾けていたら、いつのまにか昼どきをすごしていた。
 品数は…かぞえなかったけれども、いろいろと供されて、仕上げに握り飯に汁、デザートまで付いて、ぼくには多すぎるくらいだったが。
 齢70を超えた面々の、健啖おそるべし。
 
 ところが
 浜へ、ハマヒルガオの顔を見に歩く段になると。
 まず、椎間板ヘルニアに悩む1人が、自家用車を転がして「お先に」と去り。
 つづいて、浜に出る前に、1人…もう1人…と退散。
 沖合いに烏帽子岩を望む砂丘ハマヒルガオの群落…茅ヶ崎海岸を闊歩組は5人になった。

 むかしは、奇祭「浜降祭〔なまおりまつり〕」で知られる程度だった茅ヶ崎も、いまは温暖な気候に恵まれた穏やかな近郊ベッドタウンの景。

 かつては「若大将」加山雄三の町も、『勝手にシンドバッド』『チャコの海岸物語』からは桑田佳祐サザンオールスターズの町に変身。
 海水浴客よりもサーファーたちで賑わう海岸になっている。
 ここで、Sくんに負けない「運動しないと気もちわるい」派のIくん、まざまざとその健在ぶりをさりげなくアピール……

 サザンビーチで、「若大将」世代の爺ちゃどもは、通りすがりの地元の方に記念写真のシャッターをお願い。
 正月の箱根駅伝では、近ごろ勝負どころになりつつある3区(戸塚-平塚)の海岸通りを渡って、帰路についたのであった。

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは「おやすみ」

-No.2066-
★2018年05月19日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2992日
★ オリンピックTOKYOまで →  432日
★旧暦4月15日、満月・十五夜・望月
(月齢14.6、月出19:03、月没04:50)


「おげんきよう!」の明日へ…きょうは「おやすみ」

-No.2065-
★2018年05月18日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2991日
★ オリンピックTOKYOまで →  433日
★旧暦4月14日、満月へ1日
(月齢13.6、月出17:58、月没04:12)


ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.56~ 「趣里」というチョイと気になる女優

-No.2064-
★2018年05月17日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2990日
★ オリンピックTOKYOまで →  434日
★旧暦4月13日、十三夜の月
(月齢12.6、月出16:52、月没03:37)



三宅宏実の妹か池波志乃の娘か…★

 テレビコマーシャルというやつには、じつは、その制作に携わったこともある…にもかかわらず、ほとんど関心がない、というか、しっかり見ようとは思わない。

 …ま、ほとんどの人にとってコマーシャルというのは、<バックグラウンド>のものであって、真正面から向き合うものではない、いわば<ヒヤカシ効果>のものなわけで、そこがオモシロイと言えば言えなくもない。
 それは、製作サイドでも先刻承知、よ~くよく弁〔わきま〕えているから、そこを<なんとしても打破>目指して、あの手この手の技を駆使する。

 だから、フトなにかの参考になる、こともあったりする。
 けれど、それは限られた少ないチャンスであり、近ごろはとくに、ただ(ワカリマセ~ン)とばかりに、首を竦〔すく〕めるほかないコマーシャルばっかり。

 そんな、なかに、しばらく前から。
 なんとはなしに手をやすめて、気がつくと見入ってしまっているコマーシャルがあって。
 それが小田急電鉄の、なんと称されているのかは知らないが、「街の青春」ともいうべき<ひとこま>シーンをきり撮ったシリーズ。

 日々の生活に直結する交通インフラのコマーシャルだから、〝おかたい〟かといえばさにあらず、むしろ人々の情感をくすぐって、しかも(そうだよねぇ…)と共感を誘う。
 定法だ、けれども、いいコマーシャル。

 そのひとつに登場する、ひとりの若き女性が、とてもとってもチャーミングで、ちょいと気になる。
 …といっても28の女優さんといえば、そろそろ中堅か…でも、みずみずしく娘々している。

 …といっても、すでにしばらく前のことになり、移り替わりのはげしいコマーシャル世界では、ネタにするチャンスを逸したかと思っていたのだが、いまもときどきお目にかかれる。
 どうやら評判も、人気も、いいようなのだ。

 芸名「趣里」さん。
 ぼくは、あのリオ・オリンピックでバーベルに感謝のハグをしてみせた銅メダリスト、ウェイトリフティングの「三宅宏実の妹か…」と思ったし、かみさんは「池波志乃の娘かと思った…」という。

 そのじつ。
 本名「水谷趣里」、あの水谷豊と伊藤蘭の長女というのには、遺伝子の不思議を想わないわけにはいかなかった、けれど、気になる存在感はしっかり継承している。

 ぼくは、ごめんなさい。
 「チョイと気になる」などといいながら、じつは、小田急のコマーシャル・フィルムでの彼女しか知らない。 舞台を観るのは苦手なので、そのうち映画かドラマでお目にかかれれば、と思っているところ。

 近いうちにブレークがあるかも……デス

 ※写真は、所属事務所「トップコート」のホームページから拝借しました。
www.topcoat.co.jp

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.55~ ユーハイムの「バウム・クーヘン」

-No.2063-
★2018年05月16日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2989日
★ オリンピックTOKYOまで →  435日
★旧暦4月12日
(月齢11.6、月出15:45、月没03:03)


※きょうは、七十二候の「竹笋生(タケノコが生えてくる頃)」。竹林があったら覗いてみましょうか! すでに八百屋の店頭には、南の方からのタケノコ便りあり、もうこっちでも出てきていい頃です。



★いかにもドイツ…らしいカッチリ年輪のケーキ★

 左党(呑兵衛)であるボクは、菓子については無関心、こまかいことは言わない…かというと、なかなか、そうでない。
 好みもあるし、じつをいえば、もともと酒と甘味には芯から親しみかようところがある。

 「バウムクーヘン
 直訳すれば「木のケーキ」だけれど、いうまでもない「年輪に恋した菓子」。
 
 はじめてこの菓子に出逢ったとき、ぼくの心臓はドクンとひとつ息を呑んだ。
 菓子の名も知らないうちから、それは大きな切り株の年輪を連想させ……
 そればかりか、この菓子をどう作るか、までを想像させたのは、バウムクーヘンが初めてだった。
 後日、菓子職人がこれをつくるところを見たときには、吾が想像とのあまりの合致にビックリしたくらいだ。

 ごく簡単にいってしまえば、それ専用の太めのバーに、生地を塗りかさねながらバーナーで焼き、薄い層の積み重ねを〝年輪〟らしく見せるところが職人技。
 焼きあがった棒状の菓子を輪切りにして出来上がる。

 ぼくの父が、むかし魚河岸があった頃からの日本橋、砂糖屋の末裔であることは前にも話した。
 そのせいか「一流どこ」にヨワかった父は、けっこう当時のモボ(モダン・ボーイ)だったわけだが、食は和風、江戸好みであった。

 わが家に洋風を吹き込んだのは、母方の叔父さん。
 シェル石油(いまの昭和シェル石油)に勤務して、出張すればあちこちの名産を、ふだんは都心の名店品を土産に訪ねてきた。
 かなり父への対抗心があったとみえる。

 ぼくたち、ふだん和菓子系の姉弟は、この叔父さんから洋菓子のあれこれを知らされた。
 代表的なのがモロゾフのチョコレートであり、ユーハイムバウムクーヘンであった。

 いまは、小分け個包装の製品がよろこばれているようだ、けれど。
 バウムクーヘンの真髄は、輪切りの〝年輪〟をみずから切り分けて味わうことにある。
 

第一次世界大戦の置土産★

 そもそも、このバウムクーヘンを初めて訪日させることになったのが、ドイツのパティシェ(菓子職人)、カール・ユーハイムという人。
 話しはふるく、19世紀初頭あたりまで遡る。

 1919(大正8)年3月4日、広島物産陳列館(のちの〝原爆ドーム〟である)で開催された「俘虜製作品展覧会」で販売されたのが最初であり、これを記念して3月4日は「バウムクーヘンの日」。

*以下、すこし補足しておきます。
 それまでドイツの租借地であった中国の青島(チンタオ)で、カールは洋菓子店を営んでいました。が、第一次世界大戦で青島は日本軍に占領され。カールは青島から日本へ、俘虜(捕虜)の一人として広島市似島検疫所へ連行され、ここで終戦を迎えています*

 カール・ユーハイムは戦後、紆余曲折を経て神戸で開業。
 それからもなお、歴史の風浪にもてあそばれながらの紆余曲折があって、カールは第二次世界大戦終結直前に他界したが、社業は後世に引き継がれて現在にいたっている。

 このあたりまでは、まぁ、ドイツ菓子「ユーハイム」の店の栞かなにかを読んだ記憶がある…が。
 その「ユーハイム」の「バウムクーヘン」が、ことし100周年を迎えるとは、とんと気がつかないことだった。

 世の中には、なにかと気くばりの部局や人士があるもので、そのスジから高校時代からの友人に取材が入ったという。
 後日、彼から送られてきた新聞記事を見ると、上記のようなこと、100周年(と〝原爆ドーム〟)にまつわる回顧譚であった。
 その友は、高知大学の名誉教授(ドイツ文学)であり、カフカの研究者だが、著書に『青島(チンタオ)から来た兵士たち-第一次大戦とドイツ兵俘虜の実像-』(2006年)がある。
 
  …………… 
 
 とまれ
 ぼくの好きなケーキは、モンブランバウムクーヘンである。
 ほかは、どうでもいい、(子どもだましみたいなものだ)と思っている。

 ところが、世の中わからないもので、この「バウムクーヘン」。
 日本では、(〝年輪〟をかさねる)めでたい贈りものとして人気を博してきたけれど、本国のドイツではそれほど一般的な菓子ではなく、どちらかといえば珍しいくらいの存在だという。
 この話しは、ぼくも大学では第二外国語がドイツ語必修であったことから、講師からそんな「じつは…」話しを聞いている。

 そういわれてみれば、なるほど、「年輪をかたどった菓子」というのは日本人の感性にじつにフィットしやすいことに、思いいたるのだ……


 
 
 

湾岸「夢の大橋」の聖火台予定地と、聖火リレー・トーチのこと…

-No.2062-
★2018年05月15日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2988日
★ オリンピックTOKYOまで →  436日
★旧暦4月11日
(月齢10.6、月出14:38、月没02:29)
















◆「2020TOKYO」オリンピックのシンボル

 メインスタジアムの新国立競技場、その設計図に「聖火台の場所がない」と知らされたときには、「…あ…」っ気にとられた、けれど。
 考えてみれば、<メイン>であっても<オール>ではない、のだから。
 どこか適当な、たくさんの人が訪れられる場所に設置されるのが、本来あるべき姿なのかも知れない、と思い直した。

 その「聖火台」の設置場所、「もっとも東京大会にふさわしい場所」(大会組織委員会森喜朗会長談)として選ばれたのが湾岸臨海の江東区、青海のお台場エリアと有明エリアの間、有明西運河に架かる「夢の大橋」有明側に決まったのが昨年12月中旬のこと。

 スケートボードやバスケットボール3人制、スポーツクライミングなど、いわな新傾向の「都市型スポーツ」会場が集まるこの一帯こそ、2020TOKYO大会を象徴するエリア、というわけだ。
 
 年が明けて2月に歩いてみた。
 「夢の大橋」はいちど歩いて渡ったことがある(非常時の緊急車両以外は通行しない歩行と自転車の専用橋だ)けれど、自然派とはいえボクのような都会派には、図体が大きすぎ橋としては幅がありすぎて、つかみどころのない印象しかなかったからダ。
 シンボルプロムナード公園内にあるこの橋は1990年の竣工、全長360m・幅60m(歩道橋としては日本一の幅広)で、夜間はライトアップされるデートスポットでもある。

 湾岸線の「東京テレポート」駅を出ると、そこはすでに都心を離れた非日常の楽天エリアといってよく、在住者にもここに働く人たちにも、その意識はくまなく行き渡っている気がする。

 「ゆりかもめ」の「青海」駅との間、「夢の大橋」に至るセンタープロムナードのすぐ脇には、カメラアングル美と映画音楽の佳さで一世を風靡した映画『第三の男』を偲ばせる、パレットタウンの大観覧車。
 ふと心うごかされて、(たぶん半世紀ぶりくらいになるだろう)大観覧車に揺られて見た。

 空から見る下界は、なるほど〝湾岸〟ベイエリア
 有明西運河には、下流側から西北へ「あけみ橋」「夢の大橋」「青海橋」「有明橋」「新都橋」「のぞみばし」と連なり架かる橋の上を、首都高速道路などが跨ぐさまは「未来都市」そのもの。

 目を転ずれば東の海上には、東京港入り口に架かる「東京ゲートブリッジ」まで望めて……
 石川島人足寄場の設立にも功のあった、あの「鬼の平蔵」(火付盗賊改方長官、長谷川平蔵)が、もしこの景を眺めたなら「うむ、佳いな」と、満悦の相好をくずしたことだろうと想われる。

 観覧車を降りて橋を歩く…と、前には只だだっ広く見えた「夢の大橋」が。
 そこに「聖火台」を置いた思い入れであらためて眺めると、もういちど「うむ、佳いな」となり。
 ただ、風のいたずらが「しんぱいなことよ…な」であった。 
 
 橋の、聖火台が予定される有明側には、ホテルトラスティ東京ベイサイド。
 橋詰の辺りには、この日どこぞ近隣でイベントでもあるらしい、コスプレ姿の若者たちの撮影風景が見られた。 

※聖火台関連情報※ 
 メインスタジアムの新国立競技場にも開・閉会式に使う式典用の聖火台(同デザインのもの)が設置される、けれども競技中は運営上、安全などの観点から点火はされず、大会後は競技場周辺にのこされることになっている。






聖火リレーの「トーチ」デザインも…佳いな!

 この聖火台に灯される炎。
 毎回、4年に1度のオリンピックがあるたびに、ギリシャの神殿で採火される聖火は、空路このたびは日本へ。

 そうして、日本での聖火リレー出発地は、福島県広野町楢葉町にまたがるサッカー施設「Jビレッジ」に決まった。
 これは、なんとしても〝復興オリンピック〟を印象づけたい国の、つよい要望もあろう。
 「Jビレッジ」はいうまでもなく、あの東日本大震災による(東京電力福島第一原発爆発事故の対応拠点となってから7年半の後、18年夏から再開されており、この4月には全面オープンされた。

 聖火「復興の火」は、リレーに先だって東日本大震災に被災した各地に巡回展示されてから。
 「Jビレッジ」出発は3月26日、聖火リレーはそれから121日間をかけて全47都道府県を巡り。
 7月24日の開会式に、メインスタジアムの聖火台に点火されるわけで……

 その聖火リレーにつかわれるトーチのデザインも、3月25日に発表されて、お披露目があり。
 これが、また、じつに花見頃にマッチした〝桜〟モチーフのグッド・デザイン。

 吉岡徳仁氏の手になる作品は、おしゃれで粋にすっきりスマート。
 上から見た形が「桜(花)紋」なら、材料のアルミの色あいも桜ゴールド(桜色×金色)になっているとこなんざ、どうも、にくいネ!

 このトーチは、全長710mm、重量1.2kg。
 聖火リレー・ランナーの負担にならない重さと、優美なフォルムとを同時に達成させるため、新幹線製造にも採用された最新の製造技術(アルミ押出成形)を採用、継ぎ目なく仕上げられた流れるような5つの花びらからは、5つの炎がトーチの芯管で1つになる仕掛け。ここから25~30cm炎がでる。

 素材の一部には、東日本大震災仮設住宅でつかわれたアルミ材(約4トン)も再利用されている、という。

 前回1964年のときの、ピュアに単純化されたトーチを想いだすと、時代のさまがわりと文明の進歩とを痛感しないわけにいかない……

 このトーチで行われる聖火リレーは、「希望の道を、つなごう」をコンセプトに全国津々浦々をまわる……

 1日あたり80~90人が参加する聖火リレーでは、トーチは1人1本、1万本余りが必要なんだそうな。
 (このへんがなぁ、もう少しなんとか、ならないのかなぁ)



 

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.54~   日本の「ハーベスト・ワンダラー」たち

-No.2061-
★2018年05月14日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2987日
★ オリンピックTOKYOまで →  437日
★旧暦4月10日
(月齢9.6、月出13:31、月没01:53)






★収穫期に<産地を手伝い>渡り歩く若者たち…がいる★

 農家にとって、「農繁期」は「祭り」みたいなもの。
 いつもの人手ではたりない分を、他所からの人手が集って助ける。
 さもなければ、人手に替わる機械が油(カネ)を喰って働く。
 どちらにしても、ここ一番の勝負どころに、産地そのものが、その生命力の耀きを増す。

 そのあとには、ほんとの祭り(収穫祭)があって、それは別の〝結実〟をもたらす。
 他所からの助手〔すけて〕が、産地のあと継ぎと結ばれる、めでたい宴となる。

  ……………

 ぼくたち戦後すぐ世代の、青春前期。
 大学受験を目指す<高三>の夏、都会の喧騒をのがれ、閑かな農村に寄宿して勉学に励む…「学生村」という民泊の、制度というか運動というか、があり。
 これをきっかけに、農業に転ずることになる若者もあったのを、ぼくも覚えている。

 また、奇妙なことには、この青春前期という<勉学>のときが、命の耀きとしての<さすらい>を刺激されるときとも、不即不離に合致する。
 あの頃、かなり広範な現象にもなった「ユースホステル」運動が若者たちを衝き動かし、それが、その後の「ワンダーフォーゲル」運動へと受け継がれてもいった。
 大都会を離れての、種まき・田植え期や収穫期の農業体験は、実際になによりの<人生の道場>でもあり。
 しかもうまい具合に、各地の「農繁期」はそれぞれに時期を異にした。

  ……………

 そうして
 幾世代かを経たいま、〝移民問題〟(この4月からは外国人就労拡大新制度が始まる)が深刻化するこのニッポンに、似たようなムーブメントがおきている。

 ー農産物の収穫時期にあわせ、全国の産地を渡り歩いて生活する若者たちー

 「ハーベスト・ワンダラー」

 彼らの間には、交流も情報交換も生まれる。
 それによって幾つかの〝流れ〟もできてくる。

 受け入れる産地サイド、全国的に農業の担い手が不足する側でも、手をつかねてはいない。
 〝流れ〟に乗り、あるいは〝流れ〟を変え、もしくは新たな〝流れ〟をつくろうとするうごきが、あちこちで出てきている。
 たとえば、北海道と四国といったように遠く離れた産地間で、農作業アルバイトを「リレー方式」でつなぐ取り組みも始まっている、という。
 それら助手アルバイターのための寄宿舎整備にうごく行政もでてきている。

 生きる人にとって、いつ、いかなる世にも〝閉塞感〟は拭いきれない、そんななか。
 「仕事はキツイが、お陽さまのもとで流す汗はわるくない」
 この感性、〝開放感〟は時代を超える。

  ……………

 いま産地サイドの課題は、彼ら「ハーベスト・ワンダラー」のリピーターを増やすこと、というが。
 失礼ながら、そんな狭い了見ではイケナイ…とぼくは思う。

 彼らにも、先駆者があり、また後継者だってある、のだから。
 いまのうちに、この<世代をまたぐ連携づくり>に結実しておく必要がある。

 それだってやっぱり、日本人だけでは間に合わないだろうから、外国からの技能実習生などにも加わってもらうことになるのだろう。
 <国人〔くにびと〕と異国人〔いこくびと〕>相互の交流にあたっても、ボディーランゲージの豊かに活かせる農作業は、ふかく身内からの理解に役立つ。
 これは、とてもとっても、たいせつなことダ。

  ……………

 あとは、国の姿勢と対策だ。
 こういうこと(危機を乗り越える智慧)にこそ、国を挙げての取り組みがなければいけない。

 しばらく前に、この郷土(国)を深くよく知り、地方に活気を生み育むためには、若者の<国内旅行の義務化>、そのために国からの資金援助を勧める提言があった。

 これを、さらにもう一歩、先へと推し進めて。
 公民こぞっての「ハーベスト・ワンダラー」運動の奨励・推進こそ、まさにあるべし。

 これは、また、ほかでもない
 〝災害列島〟に住み暮らすこの国人に、いまこそ<自助と共助>の〝ボランティア精神〟を徹底させる、絶好のチャンスでもあるだろう。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記35>-大槌町⑤-城山そして大槌駅

-No.2060-
★2018年05月13日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2986日
★ オリンピックTOKYOまで →  438日
★旧暦4月9日、上弦・半月
(月齢8.6、月出12:23、月没01:14)


※11日(土)は、七十二候の「蚯蚓出(ミミズが地上に這い出る頃)」でした。家の庭では、まだ…ですが。土の中はたしかに温くなりました。





◆大槌を見守る「城山」

 
 東日本大震災では、湾岸背後の高台や突き出した山鼻などの高みが、多くの住民の命を救った。

 山裾まで含めて、この城山(大槌城址)にとり縋って命を拾った人もまた少なからず、そういう人たちから聞く救命譚は、いずれも生々しいもので。
 したがって、大槌町に来たらかならず城山に上がって見ることが、ぼくたちの習いになった。

  ……………

 城山の山頂は標高141メートルだが、展望台のあるところは一段低い。
 震災と津波の襲来によって、大槌町でもあがった火の手は城山の山肌を焼いて上り、震災後しばらくは焼け跡を曝していた…が。
 自然の快復する力の逞しさは、まもなく山肌にふたたび緑を蘇らせて、人々を鼓舞した。

  ……………

 それにくらべると、すっかり浚われつくした眼下の町から浜にかけては、無慚の一語に尽き。
 しかも、ときを経てもなかなか、はかばかしい復興の進捗は見られず。
 だから、いつのまにか、ぼくらの城山からの眺めは、目の前の荒涼を避けて海へと漂い、視線は「ひょうたん島(蓬莱島)」を探すクセがついてしまった。

   ……………

 それが、ようやく17年くらいから、新しい町の区画割に建物が姿をみせはじめ。
 そこでボクたちは、屋根のありがたさと屋並みの美しさに、あらためて気づくのだった。
 








JR東日本から「さんてつ(三陸鉄道)」へ

 このたびの大槌町訪問は、18年9月初めの土・日(1~2日)。
 JR山田線が、線路の復旧後は、運営を第三セクターの「三陸鉄道」にゆずる(というよりJRが放棄)ことが決まって、折から運行再開に向けたうごきが活発になってきた頃だった。

 大槌駅。
 新しいホームはできていたが、ほかの諸設備はまだこれから。
 それでも駅前通りの周辺には、新築のニオイのする住宅群が誕生していた。

 その後の、大槌駅。
 駅舎は、町民公募でダントツに人気の高かった「ひょうたん島」をモチーフとする丸っこいデザイン。
 駅は、大槌町観光物産協会の簡易受託駅になり、駅舎は大槌駅観光交流施設になる。
 
 JR山田線時代、エスペラント名「ルーモトゥーロ=灯台」だった愛称は、「さんてつ」リアス線になって「鮭とひょうたん島の町」に。
 駅舎内には、この町発祥の「新巻き鮭」の骨から出汁をとったラーメンの店(大槌ラーメン研究会)ができ、ウレシイことには夜は居酒屋にする予定という。
 
   ……………

 「大槌」から北へ、リアス線の駅は「吉里吉里」、「浪越海岸」とつづいて、ここまでが大槌町(上の駅写真、左から右へ)。
 その先は、町境を越え山田町になり。
 大槌町の駅までが、JR山田線時代の釜石管内であった。

 したがって、宮沢賢治世界の駅名エスペラント愛称もまた、<ここまで>。
 そうして、それも、「さんてつ」リアス線への移管による愛称変更で、この3月23日からは下記のようになっている。
  〇「吉里吉里」駅は、「レジョランド=王国」から「鳴き砂の浜」。
  〇「浪板海岸」駅は、「オンドクレストイ=波頭」から「片寄波のサーフサイド」。

   ……………

 なお、自然界からのメッセージとしては、こんなこともあった。
 (18年2月16日、東京新聞記事による)
 東日本大震災津波によって、川と海に分かれて棲息してきた別種の小魚「イトヨ」が交流・交配、新たな交雑種が誕生していたことが分かった、という。
 発見したのは岐阜経済大学淡水生態学森誠一教授で、97年から大槌町でつづけてきた調査の結果、遺伝子変化(淡水型と海水型、両方の特徴をもつ)が見られた、そうな。
 いずれ、新種として定着するかも知れない。

 自然は自然に、地球とそこに棲息する生命を生み育み、またあるいは、ときに撤収もくりかえしていく……
  
   ……………

 東日本大震災大槌町の被害】

 〇震災前の人口 15,276人(2010年国勢調査
 〇震災後の人口 11,890人(2019年1月末現在)

 〇死者数     803人
 〇行方不明者数  423人
 〇    計 1,223人

 〇家屋倒壊数 4,167棟

 ※震度=5弱~6弱(予測)
 ※津波高=大槌湾で15.1m

   ……………

 東日本大震災【山田町の被害】

 〇震災前の人口 18,617人(2010年国勢調査
 〇震災後の人口 15,053人(2018年10月1日現在※推計)

 〇死者数    604人
 〇行方不明者数 148人
 〇    計  752人

 〇家屋倒壊数 3,167棟

 ※震度=5
 ※津波高=船越湾で19.0m

   ……………


【後日談】
 ことし春、「さんてつ」リアス線の開通後。
 「木工ワークショップ」のお手伝いにをつづけてきてくださった、釜石のT.佐藤さんから、リアス線開通記念の新聞「岩手日報」と、時刻表、大槌駅の記念乗車券をいただいた。
 こんどの東日本大震災で知り合い、結ばれた佐藤さん夫妻も、この春、釜石から北上市へ居を移した。これも〝再興〟への一里塚……。
 

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは「おやすみ」

-No.2059-
★2018年05月12日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2985日
★ オリンピックTOKYOまで →  439日
★旧暦4月8日、上弦・半月
(月齢7.6、月出11:14、月没00:32)


「おげんきよう!」の明日へ…きょうは「おやすみ」

-No.2058-
★2018年05月11日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2984日
★ オリンピックTOKYOまで →  440日
★旧暦4月7日、弓張月
(月齢6.6、月出10:07、月没....:....)


ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.53~  映画『マイ・ブックショップ』

-No.2057-
★2018年05月10日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2983日
★ オリンピックTOKYOまで →  441日
★旧暦4月6日
(月齢5.6、月出09:03、月没23:44)




◆ひさしぶりに〝静謐〟な映画空間をあじわう

 妙な言い方になる、けれども。
 シンと閑まった空間に、音声と映像がときが粛々とながれていく。
 ……そこは客席100にも充たないごく小さな映画館……
 映像の光の束を光源へと辿っても、映写室に人影なく。
 ぽつぽつと席をうめているほかの観客も、嵌め絵の小片みたいに存在の肉感がない。

 ときは19世紀半ば。
 そこは、書店など1軒もない、イギリスの、とある海辺の小さな町。
 そこは、古いだけが取り柄といったふうの、しかし居心地はよさそうな小さな邸。
 そこに、ひとりの女が書店をひらく。

 戦争で亡くなった彼女の夫は、生前、あれやこれやの本を読み聞かせてくれたものだった。
 <マイ・ブックショップ>は、そんな亡き夫の夢であり、同時に彼女の夢でもあった。

 小さな町は、保守的で、冷ややかなものだ。
 女性が開く本屋に対しても、町は冷ややかだった、が。
 本屋は、町じゅうの人にとって意想外な、軌道にのる。

 彼女の気もちの支えは、ひきっ籠りの読書人である老紳士と。
 もう1人、「本を読むのは嫌い」だけれど、しっかり者のお手伝いの少女。

 これで、いい。のに
 なぜか人の世は、それを、さまたげる。

 彼女をこころよく思わない、町の有力者が<マイ・ブックショップ>邸の、のっとりを策し。
 保守的な司法のはたらきもあって、彼女は<マイ・ブックショップ>を失って、町を立ち退く。
 
 ……と同時に、<マイ・ブックショップ>のあった邸は焼けて灰燼に帰し。
 ……そうして後、「本を読むのは嫌い」だった、あの少女が長じて本屋をひらく。

 おはなしは、たゆとう波のごとく。
 映画は、またとない憩いのときをすごして、光の束をおさめ。
 気がつくと、ぽつぽつと席をうめていた人たちの口から、閑かに「ほ~~っ」と読後のためいき……

  ☆     ☆     ☆     ☆

 原作は、イギリスの文学賞ブッカー賞」を受賞したペネロピ・フィッツジェラルドの小説。
 監督は、『死ぬまでにしたい10のこと』『しあわせへのまわり道』のイザベル・コイシュ。
 主演は、『メリー・ポピンズ リターンズ』のエミリー・モーティマ―。
 スペイン映画、112分。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記34>-大槌町④-大槌あちらこちら

-No.2056-
★2018年05月09日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2982日
★ オリンピックTOKYOまで →  442日
★旧暦4月5日
(月齢4.6、月出08:04、月没22:50)








◆小国ヤスさん

 大槌町に行ったら、かならず訪れるところが、7年の間にいくつかできた。
 港に近い、安渡の小国ヤスさんは、なかでもその筆頭格。
 もともと世話好きで明るい性格の人だから、津波に家を流され仮設暮らしになってもかわることなく、浜の〝名物〟婆ちゃん。
 
 立て板に水のしゃべくりで、「あたしを知らない人はもぐりだよ」と笑う彼女だが、こんどの東日本大震災津波から逃げた避難先での苦い経験も心に抱えており。
「海の水が引いたら津波が来るんでしょ、だからすぐに逃げなきゃいけないの、だけどそれだけじゃダメなんだよ、逃げたら絶対に戻らないことなの」
 ヤスさんがそう言うのに、「忘れたものがある、すぐに戻るから」と家に帰った近所の人は、津波に呑まれて戻らなかった。「行かせるんじゃなかった」とヤスさんは悔やむ。

 ヤスさんには、兼太郎さんという生涯のよき伴侶があった。
 心根のやさしい元漁師は震災後、ガーゼの布に刺繍糸の刺し子、手芸に熱中することで気もちの張りを支え。
 「できれば復興した故郷を、もういちどこの目で見ておきたい」
 そう述懐していたのだけれど……

 望みは叶わず、17年1月に93歳で亡くなった。
 三陸岩手の浜に生き、こんどの大津波で生涯3度の〝海嘯〟を切り抜けてきた命が、ひとつ逝き。
 ヤスさんはいま、その後に建った災害公営住宅に息子さんと暮らす。

 ようやく笑顔をとりもどしたヤスさんを、仏壇から、兼太郎さんの遺影が見守っている。
 その遺影は、ぼくたちがつづけてきた「木工ワークショップ」の、常連さんの女性が撮ったもの。
 そうして、遺影のフォト・フレームはぼくの手づくりだ。
 遺族(家族)とおなじ空気を吸っていられますように、ガラスの仕切りはなくしてある…… 




ひょっこりひょうたん島

 大槌湾に面した漁港、安渡の先、すぐ東が赤浜地区。
 ここは、震災から1ヶ月後、ぼくたちが真っ先に訪れた場所。

 嵩上げされた路盤に敷かれてあった旧JR山田線(19年3月23日からは三陸鉄道リアス線として開通)のレール、グニャリと圧〔へ〕し曲げられた向こうに、うちあげられた船など津波の爪痕なまなましく、果てしもなく広がっていたところで。

 瓦礫の群がりを避けて海際に出ると、指呼の間に「蓬莱島」が浮かんでいた。
 NHKテレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』のモデルの小島は、懐かしくもあり、癒しの風景ともなって、その後の大槌訪問では、かならず<ひとめ挨拶>の地になっていた。

 赤浜は、ぼくたちが後に、二次瓦礫撤去に入ったところだったし。
 ひょうたん島(蓬莱島)は、津波に耐えてのこった…と思われた灯台が、ほどなく倒壊。
 しかし、翌年末には再建、点灯。

 漁民の守り、弁天神社も損傷をうけたが、島とともに修復が進み。
 陸地と島を結ぶ、流失した防波堤も復旧……と
 ひょうたん島(蓬莱島)は、いつも大槌の町の復興を先駆けるカタチでありつづけた。

 そうして、18年9月の赤浜。
 海辺の低地は丈高い防潮堤の工事が進み、漁家などの住家はみな後背の高台に移って。
 いまはもう、ぼくらが瓦礫を撤去した跡地が何処だったかも、知れなくなっていた……


吉里吉里学園

 大槌町には、行けばかならず訪れるところがある一方、気にかけつつ往来を繰り返しながら、なかなか立ち寄りのきっかけ、とっかかりがつかめないままになってきたところもあって。

 吉里吉里という土地が、それだった。
 《11.3.11》から1ヶ月後に、はじめて大槌町に入ったときには、もちろん吉里吉里にも足を運んでいる。しかし……

 吉里吉里海岸へは入口の跨道橋が大破していて立ち入ることができず、被災した集落内も細い道が入り組んで、ぼくの車は進退に難渋をきわめた(そのとき乗っていたのがエルグランドという大きなボックスタイプの車だったのがいけなかった…)ために、復旧作業の邪魔になってしまって往生するばかり、早々にひきあげるしかない結果になった。

 それが、トラウマになっている…のはマチガイない。
 (ぼくは帰宅するとすぐに、車をひとまわり小さいタイプに買い替えている)

  ……………

 吉里吉里
 古くは「吉利吉利」「吉里々々」とも書いた。
 地名の由来、ぼくは吉里吉里海岸の<鳴き砂>の音に由来する、とする説を支持したい。
 別に、海に突出した地形の「限々(ぎりぎり)、切々(きりきり)」に由来するとも言われるようだが、どうもしっくりこない。

 かつて、ここは「吉里吉里国」と称して名をあげたことがある。
 井上ひさしの小説『吉里吉里人』に登場する架空の国に材をとり、町おこし事業として1982年に吉里吉里国の独立を宣言、80年代ミニ独立国ブームの先陣をきっている。

 ブームは、いっときのブームでおわった、けれども。
 吉里吉里の辻や路傍には、いまも、ふと、そんなふんいきを嗅ぐ気がする。

  ……………

 国道から眺めると、集落の上の方に、お伽噺めいた塔のある建物が見える。
 (学校か…それとも幼稚園だろうか…)
 ここも、ずっと気になっていたところだったが。
 このたび、やっとこさ、訪れてみると「吉里吉里学園」であった。

 折から生徒たちは教室で授業中の、校庭からは吉里吉里の海が望めて、津波もここまでは届かない。

 大槌町の小・中学校は、震災後、いずれも町立の、大槌学園(大槌・安渡・赤浜・大槌北の4小学校と大槌中学校を統合した義務教育学校、4月18日記事)と、吉里吉里学園(併設型小中一貫校)の二つだけになり。
 どちらの〝学園〟にも、新たに地域コミュニティーの再興を目指す「ふるさと科」授業が導入され、全国レベルの注目を浴びている。

  ……………

 なお
 ちなみに岩手県では、18年1月に陸前高田市立の気仙小学校が、海抜約49メートルの高台に移転して新築、始業式が行われており。
 これを最後に、県内で東日本大震災に被災したすべての公立校(計86校)の校舎が、再建(移転や統廃合も含む)されたことになる、という。 

  

 
 

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.52~ ことしの「ホワイトデー」噺

-No.2055-
★2018年05月08日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2981日
★ オリンピックTOKYOまで →  443日
★旧暦4月4日
(月齢3.6、月出07:10、月没21:51)






★「ドロップファーム」のプラム型トマト★

 噺は、ひと月ほど前のことになる……

 ぼくの<バレンタインデー>は、いま。
 かみさんからのプレゼントをのぞくと、姉と二人の姪が「三姉妹」と称して贈ってくれる〝敬老チョコ〟だけになった。

 このお返しに、毎年あれこれ智慧をしぼる。
 ことしは熟考の末、「ドロップファーム」(水戸市)のトマトにした。

  ……………

 近ごろのトマトは、すっかり〝野菜〟から〝果物〟への移行がすすんで名称も「フルーツ・トマト」になって、そのぶん値段もだんだんに上昇傾向にある。

 ぼくが、それ以前からトマトにハマっていることは、すでに述べた。
 それは、「桃太郎」の品種には瑞々しさが欠けている…と感じ、静岡の農家にお願いしてむかしの品種の「農林何号」だったかをわけていただいたことから始まった。
 
 美味しいトマト。 
 日本一の産地として有名なのは「塩とまと」の熊本で、高知の「徳谷とまと」はフルーティーな甘さを誇る。
 さらに、近ごろは一段と品種改良が進歩して静岡の「あめーら」など、甘味を追求したものが主流をしめる。
 それはそれで佳い、が……

 甘味を追い求めるあまり、こんどは瑞々しさや蔕〔へた〕独特の香りがうしなわれてきた。
 このうち、トマトの蔕の香りというのはかなり独特で、個性的(そこがイイのだ…けれど)にすぎるから、いまどきはもう、ざんねんんがら流行らないのかも。
 だから、これはもう、やむをえないのかも知れない、が。

 せめて
 〝甘さ〟と〝瑞々しさ〟の共存だけは、どうかアキラメないでほしい。
 その、ひとつの<快答>が「ドロップファーム」のプチ・トマト。
 専門的には「プラム型トマト」というらしく、ここでは「美容とまと」の商標を登録している。

 栽培品種は、「赤アイコ」「イエローアイコ」「小鈴(小丸)」「フルティカ」の4つ。
 届いたとき、すぐに歯をあてるとプチっとはじけて、やや皮の硬い食感だったが、2~3日おくとほどよくなって、〝甘さ〟と〝フルーティー〟のマッチングも佳い。

 女性オーナーが営む「ドロップファーム」の栽培法は、「アイメック」と呼ばれるフィルムを使った特殊な農法で。
 トマトが生きるのに必要最小限の水と肥料(アンデス原産のトマトにはむしろ乾燥気味がよい)とで、トマト本来の力をひきだし、糖分やアミノ酸をたくわえる、という。

 ぼくは、本質的に〝土〟を愛する者だ、けれども……

 この農法による、その結果。
 一般のトマトと比べて、リコピン(美肌効果をもつ赤色色素)は約2.4倍、ビタミンCは約2.5倍、リラックス効果が期待されるGABAも含まれている、とのこと。

 ふと、カラッと眩しい青空を仰ぐ気分に、ひたっている。

dropfarm.jp

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記33>-大槌町③-木工ワークショップ=6年間の歩み

-No.2054-
★2018年05月07日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2980日
★ オリンピックTOKYOまで →  444日
★旧暦4月3日、三日月・若月・眉月
(月齢2.6、月出06:24、月没20:49)


※〝代替わり〟10連休の間に、ほぼ5日ごとの「七十二候」も2つ進みました。まず、5月1日(旧3月27日)「即位の日」が、「牡丹華(牡丹の花咲く)」。「立夏」の昨日6日(旧4月2日)が、「蛙始鳴(蛙が鳴き始める)」でした。いずれも、まだちょっと早すぎる感あり、ですが……。

※再開の記事は、4月22日(月)-No.2039-のつづき、になります。
blog.hatena.ne.jp

◆<木工ワークショップ>6年間9作品のあしあと

-第1回-《2013年・春(4月)、「すのこ飾り台」と「小もの容れ」》

 はじめての「木工ワークショップ」は<木つつき集会>として、小鎚川の上〔かみ〕、小鎚第17仮設団地で始まりました。
 坐って座卓での作業はたいへんでしたが、あとの「お茶っこ」会が愉しくてヨカッタ。このときラッキーだったのは、手慣れて冴えた技をもつT・佐々木さんと出逢えたこと。以来、ワークショップにはなくてはならない人になりました。









-第2回-《2013年・夏(7月)、「ボックス・トレー」》

 「和野っこハウス」と出逢って、本格的な「木工ワークショップ」のスタート。
 このときチャレンジしてもらったのが、冷蔵庫の常備菜容れやティッシュ・ケース、卓上小もの容れにもなる、東京の教室でも人気の一品「ボックス・トレー」。
 全員、みごとに仕上げて、今後の見通しもたちました。
 








-第3回-《2013年・夏(8月)、「すのこ飾り台」》

 このときは、皆さんの笑顔にこたえ、勢いにのって夏に2度目の「木工ワークショップ」。
 春の小鎚でも作った「すのこ飾り台」を、ノコギリ・ワークふんだんにトライしてもらいました。45度切り板材を角度をくふうして並べることで、バリエーションいろいろ。
 簡単そうに見えても、けっこう手間どりましたっけ……









-第4回-《2014年・夏(9月)、「フォト・フレーム-木製&布製」》

 この年がいちばん、<被災>から<復興>に向けた大きな峠越えの時期にあたって、気分転換の「ワークショップ」にも、みなさんの熱気がみなぎったとき。
 ぼくたちも懸命一途。このときは、かみさんが<布製>&ぼくが<木製>、担当を分担しての「フォト・フレーム」作り。
 このときから釜石(現在は花巻)のT・佐藤さん夫妻が、お手伝いに加わってくださいました。










-第5回-《2015年・夏(9月)、「巣箱づくり」》

 震災後もかわらず、里山・里海の風情をとどめる大槌町、復興への願いをこめて。
 このときは、小鳥用の「巣箱づくり」。土曜日に「たすけあいセンター」で、日曜にはいつもの「和野っこハウス」で午前の部と午後の部、計3回の「木工ワークショップ」。
 あとで、このとき仕上げた巣箱のひとつに「野鳥が卵を産んで育てました」との報告を聞いたときは、ホント、うれしかったぁ!
 












-第6回-《2016年・夏(9月)、「花鉢スタンド」》

 組み立ての手が混んで、もっとも手間どったのが、このときの「花鉢スタンド」作り。でも…助けてほしい人あれば、助けてあげたい人も居るのが、この「ワークショップ」のいいところ。
 おわってみれば、失敗談も笑いはじける「お茶っこ」噺……









-第7回-《2017年・夏(9月)、「フォト・パズル」》

 このときは、<木工>というより<工作>に近かった…といっても、材料が小さくなった分、細工にもより細かさが要求されました。
 5×4=20駒の下地板に、フィルムに印刷した絵柄を貼って仕上げ。「パズル」なんですが、バラバラにしてから正しく組みなおすのは、なかなかタイヘン。きっと、みなさん、飾りっぱなしなのでは……












 そうして……
-第8回-が《2018年夏(9月)のラスト製作「CDケース兼飾り棚」》


 これは前回、ご紹介したとおり。

  ……………
  
 じつは、この「木工ワークショップ」。
 「石巻寺子屋」などで、子どもたち向けにも開催したのです、けれども。
 ざんねんながら、集中力の持続という点で、ちょっとムズカシかったように思えるのです。







〝代替わり・改元〟記念の10連休…いただきます⑩

-No.2053-
★2018年05月06日(月曜日、振替休日
★11.3.11フクシマから → 2979日
★ オリンピックTOKYOまで →  445日
★旧暦4月02日、繊月
(月齢1.6、月出05:43、月没19:46)