どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは「おやすみ」

-No.1947-
★2018年01月20日(日曜日
★11.3.11フクシマから → 2873日
★ オリンピックTOKYOまで →  551日
★旧暦12月15日 → ☆満月へ1日
(月齢14.4、月出15:53、月没05:33)

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは「おやすみ」

-No.1946-
★2018年01月19日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2874日
★ オリンピックTOKYOまで →  550日
★旧暦12月14日 → ☆宵待月・小望月
(月齢13.4、月出14:51、月没04:28)

「築地」から「豊洲」へ/            巨大都市〝東京の台所〟お引っ越し

-No.1945-
★2018年01月18日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2871日
★ オリンピックTOKYOまで →  553日
★旧暦12月13日、十三夜(月齢12.4、月出13:58、月没03:22)

















◆「ネズミ包囲網作戦」奏功するか…!?

 昨18年10月6日、83年の歴史に幕を閉じた「築地市場」。
 新しい「豊洲市場」への移転があらかた済んだ4日後の10日に、築地を訪ねた。

 新橋駅東口から、都バス「市01」系統に乗る。
 早朝5時16分の始発から、市場関係者や竹の「市場籠」片手に買い出しの人たちで活気づき、都バスのなかでもっとも短い路線としても知られていた。

「いやぁ、なんかね、ちょっと寂しいようだネ」
 ラッシュ時をすぎて、すっかり席の空いたバスの運転手が笑う。
 このバスの系統も、まもなく、築地を経由して豊洲まで運行距離が伸びることになっている。

 バスは、銀座8丁目から浜離宮庭園前を通り、新大橋通に入るとすぐに「青果門前」。
 ぼくも以前はよく出かけたところ、だから地理は頭に入っていた…けれども、あらためて、その〝近さ〟に驚かされる。

 「築地」ブランド力の最たるものは、この「アシのよさ(交通至便)」にあった。
 銀座の高級料亭や、鮨屋の親方衆が自転車で通えた。

 築地市場は、ここ「青果門前」から「中央市場前」を経て「市場橋」までの東側一帯、銀座4丁目からきた晴海通りが勝鬨橋を渡るところまで、の範囲。

 見上げる空が高い。
 市場の心臓部はすべて〝平屋〟の造りで、このたびの移転騒ぎで一躍注目の的になった小型運搬車「ターレ」の動きもキビキビ、「荷捌き勝手がいい」のが2つめの「築地」ブランド力だった。

 都心部の、通行車両の多さはあいかわらずだったけれども、市場がなくなった喪失感は想像以上におおきかった。
 「ぽっかり穴が開いたようだ」とは、まさにこのコトか……

 閉め切られ、鉄格子の向こうに覗き見る市場の建屋は、こうしてあらためて見ると、かなり傷みがひどい。
 ぼくが敢えて言う「猥雑さが魅力」(これが築地ブランド力の3番目)の、市場の活気が遠のいてしまって、とりのこされた建屋の情景は、ひたすら貧相に〝うらぶれ〟て見えた。

 市場の外郭を勝鬨橋まで歩いて見る。
 じつは、築地市場の閉場移転で浮上した大問題が、もうひとつ別にあった。
 それは、「ネズミを逃すな!」大作戦。

 相手は義賊「ねずみ小僧」ではない。
 魚類をことのほか好むドブネズミと、おもに青果類を食害するクマネズミ。

 築地にどれほどの数がいたのかは不明(とても数えきれない…のが真相だろう)だそうだが、5月と8月に都が行った一斉駆除では計1,400匹以上を捕獲したそうだから。これを生息数の10%程度と見るのが妥当なところかと思える。

 都では一斉駆除のほかにも、閉場によってネズミが外へ逃げ出さないように、市場外郭を仕切る金網や鉄格子には内側からプラスチック製の波板を高さ1mほどに張り巡らし、殺鼠剤や捕獲用粘着シート4万枚も用意したという…が。

 歩いて見ると、人車の出入り口は閉め切りようがないし、あちこちに<目こぼし>というか、閉め切りようのない〝穴場〟が存在した。
 専門家も「根絶は不可能」との見通しだし、ぼくも(そりゃ無理でしょうョ)と思う。

 いったん逃げ出したら、しぶとく餌場を探しながら2~3kmは移動するだろう…と見ているようだが、それでもきっとアマい。
 ドブネズミは泳ぎも達者だから、浜離宮との間の築地川くらいは渡ってしまいそうだし。
 それよりなにより、相手は人類の文明発展にあわせて生き延び、船倉に潜りこんでまで海を越え、世界中に勢力を広げたしたたか者ではないか。

 きっと、新市場「豊洲」にもすでに先遣隊は侵入しており。
 築地旧市場の周辺にも、のこった「築地場外市場」をはじめ〝㊜物件〟多数、すでに着々と、シッカリ縄張りを広げているにチガイない。

 ここは「根絶」などと、人類みずからの生息も危うくするような危険ごとや無理算段を考えるのではなしに、息のながい「清掃・清潔の道」あるのみ、ではないか。

 ……………

 市場は閉じても、「築地場外」の賑わいはあいかわらず。
 外国からの観光客もまじえて、前より若者の姿が目だつようになった一帯には、「猥雑の色」を薄めた空気が漂い流れていた。

 勝鬨橋の風に吹かれて、眺める隅田川下流方面には、環状2号線の築地大橋。
 聖路加タワーや佃・月島、湾岸エリアの高層ビル群。

 こうして時代は動いていく、実感じわり……

 (なお、その後の豊洲新市場のアレコレ模様などは、物見高い人気、混雑の波いまだ引かず、ざんねんがら訪れることができない…正直なところ行ってみる気になれないまま…いましばらくお待ちをねがっておきます)













築地の記憶 人より魚がエライまち

築地の記憶 人より魚がエライまち

久原本家 茅乃舎だし 8g×30袋

久原本家 茅乃舎だし 8g×30袋

★⑤ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.22~ 奥能登の「御陣乗太鼓」

-No.1944-
★2018年01月17日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2870日
★ オリンピックTOKYOまで →  554日
★旧暦12月12日、十三夜へ1日(月齢11.4、月出13:12、月没02:17)








◆皮破れるか、撥が折れるか…

 能登半島
 輪島から外浦(日本海)の海岸を、半島突端の禄剛崎方面へ行くと。
 白米千枚田のすぐ先、曽々木海岸にいたる手前に、名舟〔なふね〕の集落がある。

 浜伝いに漁家が軒を寄せ合う背後の崖、急な石段を上がったところに佇む白山神社
 この神社に伝わる「名舟大祭」は、勇壮〝序・破・急〟の乱れ打ち「御陣乗太鼓」の奉納打ちで名高い。
 大祭は夏、7月31日と8月1日の2日間だが、そのオドロオドロの打音演舞は、真冬の外浦、波高い浜に吹き上げられる「波の花」を想わせる。

 ぼくは、いまから40年も前の1976年、名人といわれた池田昌作さんに「御陣乗」太鼓のお話を伺ったことがある。
 この太鼓は、むかし、上杉謙信能登攻略のとき、尋常な手段ではとても敵わない相手に地元民が、奇妙な面を付け、〝陣太鼓〟を打ち鳴らして奇襲をかけ、敗走させたのがはじまり、といわれる。

 故事にちなんで打ち囃される太鼓の、打ち手が付ける面は夜叉・女幽霊・爺・男幽霊・達磨とあって、主役はないが、リーダーになるのは夜叉面の男。
 代々、名舟の男にしか許されない太鼓の、夜叉面を先輩から受け継いだ池田さんは、言う。
「太鼓に向き合った瞬間から面になりきる」と。

 その夜叉面、怖る怖る両の手にとらせていただくと、かすかに汗と脂の、男くさい匂いが染みていた。
 「御陣所」の太鼓は、撥〔ばち〕が短め。面を付け、舞いつつ太鼓を乱れ打つから、どうしても撥を握った手指が太鼓の縁に打ちあたる。
 太鼓の縁の皮には、点々と打ち手の血が滲み、赤茶け、乾いていた。

 太鼓の打音は、心臓の鼓動音の強調。 
 だから、男の多くが心揺さぶられる。

 いまは、輪島市ほかの各地・各所で演じられることの多い「御陣乗太鼓」だ、けれど。
 やはり、名舟大祭の2日間に奉納打ちされるときの太鼓にまさるものはない。

 できれば前日にでも、急な石段を上がって神社から、眼下の海を遠く眺めておきたい。
 北の沖合に浮かぶ舳倉島が、運が良ければ見えるかも。
 この島の興津姫神の御霊を招いて、白山神社で奉納打ちされるのが「御陣乗太鼓」だからだ。
 (当日、奉納打ちのステージ広場は神社下に特設される)

 真夏に、能登外浦の真冬を偲ぶ太鼓なのである……
 




御陣乗太鼓

御陣乗太鼓

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼/ <報告記07>-岩沼市-千年希望の丘

-No.1943-
★2018年01月16日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2869日
★ オリンピックTOKYOまで →  555日
★旧暦12月11日、十三夜へ2日(月齢10.4、月出12:33、月没01:14)







◆岩沼の「千年希望の丘」

 そこは、南隣り亘理町との境を流れる阿武隈川の河口から、北隣り名取市にまたがる仙台空港にかけて、10kmにもおよぶ平坦な浜。
 かつては、伊達政宗ゆかりの貞山堀との間に海浜緑地と浄化センターがあったくらいで、潮風のサイクリングロードが浜伝いに延びるところだった。

 この一帯が、東日本大震災津波に浚われ尽して、多くの死者をだした。
 なぜか、なんの根拠があってか、「ここが津波に襲われることはない」と信じきっていた人のあったことが報じられて、災害から身を守る〝減災〟のむずかしさを、あらためて考えさせられたことだった。

  ……………

 《11.3.11》後すぐの夏に、ここを訪れた日。
 道は泥濘、どこに海岸線があるのかの見当もつかない状況に、ただ息を呑む想いだったことがいまも記憶に生々しい。(上掲の写真、最下段)

  ……………

 あれから、ここは人の住めない土地になった。
 (災害に脆弱な土地には住まない…これを国の鉄則にしなければイケナイ)
 その土地に<減災>の設〔しつら〕えをする。

 岩沼市が、この沿岸10kmにわたって6つの公園と園路を整備、津波襲来時には避難場所になる園内の丘(千年希望の丘)の土台には、震災瓦礫と津波堆積物(土砂)を利用。岩沼の震災瓦礫の約90%、57万4000トンがこの事業に役立てられた、という。

 ちなみに、「千年希望の丘」のロゴ下に配された断面図は、その多重防御の模様を表しており(上掲2段目)、震災後に造られた高みは、右から「防波堤」「千年希望の丘」「かさ上げ道路(玉浦希望ライン)」になっている。

 築造される丘は、既存のものも含めて計15基。
 このたび丘の上に立ってみると、昨年までは見られなかった丘がまたひとつ増えており。また、園内の一郭には慰霊碑が建立されてあった。

 この《11.3.11》大津波を教訓に整備されるメモリアルパークの園路には、ボランティアの協力もえて13年から17年までに低木のハマナスなど約30万本が植樹され(現在も継続中)、将来成長した木々が「緑の堤防」になる計画だ。

 ことし6月末にも「育樹祭(除草)」が行われたということだが、なにしろ広大な園地のこと、一度にできる範囲にはかぎりがあるからだろう、雑草の丈高くなっている園路も見られた。
 これから年々歳々、「継続こそ力なり」の運営がもとめられることになる。
 (ボランティア問い合わせなどは、岩沼市千年希望の丘交流センター ☎0223-238-477)
 
 西北の方角を眺めると、折から仙台空港を離陸した飛行機が夏空に上昇して行った。

  ……………

 岩沼市教育委員会を訪れ、「2020東京オリンピックの聖火をバイオメタンで燃やそう!」プロジェクトへの協力をお願いして、この街を後にした。

岩沼市の《11.3.11》被害]
  〇震災前の人口 44,187人 ※10年10月現在
  〇震災後の人口 44,019人 ※18年10月末現在

  〇直接死者 180人
  〇関連死者   6人
     (計 186人)
  〇行方不明者  1人

  〇全壊家屋   736棟
  〇半壊家屋 1,606棟




「千年希望の丘」のものがたり ~「鎮守の森」にかけた東北被災地復興~

「千年希望の丘」のものがたり ~「鎮守の森」にかけた東北被災地復興~

『まんが日本昔ばなし』の市原悦子さんと常田富士男さん江

-No.1942-
★2018年01月15日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2868日
★ オリンピックTOKYOまで →  556日
★旧暦12月10日 → ☆十三夜月へ4日
(月齢9.4、月出11:58、月没00:14)





市原悦子さんが亡くなりました…

 1月12日の訃報です。
 心不全で、行年82でした。
 
 市原さんといえば、新劇、もとは俳優座の、すてきな女優さん。
 いろいろ、ひっくるめて観て、あらためて<お芝居のために生まれてきたような>方でした…けれども。
 
 なんといっても一般には、テレビドラマ『家政婦は見た』(1975年=昭和58)で、思わず(ウフッ…)と、ほほえましく記憶されている方が多いのではないでしょうか。
 ほんとに、あれは秀逸。
 視聴者もおおいに楽しませてもらいましたが、市原さん自身も愉しんで演じていたと思うのです。

 いや……
 ぼくにとっては、もうひとつ。

 忘れられない声の出演作品がありました。
 はぃ、そうです、『まんが日本昔ばなし』(1975年=昭和50年放送開始)。

 常田富士夫さんと、ずっと二人だけで、すべての声を分担(ときには男女入れ替わったりも)して、(お噺によって絵の作者は変わったんですが)どんな絵柄にも合わせた…というより、いつでもシックリ合ってしまうのでした。
 こんな番組ほかにないですよ、いまだって。

 これはイイ、放送だけですませちゃもったいないよね。
 子どもたちのための本をつくろう…ってことになって、お話しの再構成から編集までの仕事を、ぼくのプロダクションでさせてもらいました。

 文庫版、1話1冊の32ページ仕立て、5冊で1巻のシリーズが、おかげさまで気に入られて。
 アニメの原画を借りてつくったので、なかには絵が手に入らないお噺もあったりしましたが、たしか50冊の箱入り版が、上・下2箱にもなりましたっけ。

  ……………

 追悼番組では、『鶴の恩返し』が映されていました、けれど。
 ぼくの、これが一番とっておきは『牛方と山姥』。
 臆病者の牛方の声が常田さんで、あっけらかんと喰いしんぼな山姥が市原さん。
 絶妙の掛け合いドラマはサイコー傑作でしたね。
 それからというもの『牛方と山姥』は、子どもたちにお話しをするときの、ぼくの十八番演目になっています。

  ……………

 …で、ごめんなさい。
 いまになってハッと気がつきました、すっかり忘れていました。

 市原悦子さんと、常田富士夫さん。
 このお二人こそ、元祖<声のお芝居>名人。

 つい、このあいだ発表させてもらったばかりの。
 「クリア・ボイス大賞」から、はずしとくわけにはいかない大御所さんだったことに。

 申し添えれば、常田富士夫さんも先に昨年夏、脳内出血で亡くなっています、行年81でした。

  ……………

 ここに、あらためて。
 お二人に「クリアボイス大賞・特別賞」をさしあげ。
 1月9日掲載の記事を訂正の上、再掲させていただきます。

  ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

【ミミにやさしい「クリア・ボイス大賞」発表/すてきな音の空間をもとめる会】 





◆「クリア・ボイス大賞」

 これは、「すてきな音の空間をもとめる会」によるものです。
 ざんねんながら、会員はまだ私(浅生忠克)ひとり。
 なので、わたしの「聞こえ」の判断で決めさせていただきました。

 聴覚障害と呼ばれる、(疾患にはちがいない…けれども)なかでは程度のかるい、と思われている領域に、「難聴」があります。
 わたしは、大学病院の耳鼻科で検査をうけた結果、「中程度の難聴(ふつうの人の70~80%くらいしか聞こえていない)」と診断され。
 いま現在、補聴器とつきあっています。

 症状をわかりやすく説明すれば、日常の会話で相手の言葉が<聞きとりにくい>ことが少なからずあり。小鳥のさえずり、風鈴や電子通知音に気づけない。
 高音で小さな声の女性の甘いささやきなどは…(いまはもう)ふんいきだけでしか、あじわえません。
 しかも

 そんな「不幸」な境遇が、私だけじゃなかった。
 じつは、難聴は子どもたちにも少なくないし、近ごろは若者たちの間にもふえてきている。
 全人類の10~20%には「なんらかの耳の障害」があり、65歳以上の高齢者になればほぼ半数が「難聴」の身、といわれます。
 また、聴力に問題はないとされる人たちにも、じつは「聞きとりにくい」あるいは「聞こえていないけど前後関係で対処している」、状況があります。

 それにしては
 「音」に対する注意、「聞こえ」に対する配慮がなさすぎる、いまの世の中。
 「難聴」者は、みずからの「聞こえ」を改善する努力をしながら、もう少し、世の中が「音」や「聞こえ」にやさしくあってほしい、と願っています。

 アナウンサーや俳優・声優さんなど、声でコミュニケーションをとる職業のプロには、「クリアに聞こえる」話法の研鑽につとめてもらいたいし、音響や録音関係の技術者の方々には、「迫力」より「透る(通じる)」音を追求してほしい。

 そんなきっかけづくりのム-ブメントとして
 「クリア・ボイス大賞」をノミネートしたい

 では、発表します。
 栄えある第1回「クリア・ボイス大賞」は…
  【特別賞】
  ☆女声 / 市原悦子〔いちはら えつこ〕
  ★男声 / 常田富士男〔ときた ふじお〕
  【大 賞】
  ☆女声 / 相武紗季〔あいぶ さき〕
  ★男声 / 中井貴一〔なかい きいち〕
 ※【特別賞】女声の市原悦子さんと、男声の常田富士男さんは、1970年代から静かに一世を風靡した『まんが日本昔ばなし』の、ついに二人っきりの声を演じきりました。その声を表現すれば<究極かわいくて、味わいのある、懐かしい声>でした。市原さん19年1月没82歳、常田さん18年7月没、81歳。合掌。
 ※【大賞】女声の相武紗季さん(33)は、主にテレビドラマ・映画・CMで活躍する女優さんですが、<声優>の素質も群を抜いています。愛らしい表情をもったやさしい声音、それでいて女声にありがちな<語尾の消える>こともなく、なにしろ癒されます。最近ではNHK『岩合光昭の世界ネコ歩き』の語りが秀逸。
 ※男声の中井貴一さん(57)は、役者としてあたりまえのことながら。近ごろは安心感をもって観て・聞いていられる俳優さんが少ないなかにあって、<けれん味のない王道>とも言える<台詞まわし>は、さすが。血筋(父=佐田啓二、姉=中井貴恵)を思わせます。その透る声は『雲霧仁左衛門』でも健在。


 ……………

 以上
 「すてきな音の空間をもとめる会」の「クリア・ボイス大賞」に賛同くださる方。
 どうぞ、ひと声かけてください。

 来年、第2回の発表にはぜひ、幅広い合議の結果をおとどけたしたい、と思います。

 相武さん、中井さん、に親しい方がおられましたら、ご本人にお伝え願えれば幸いです。
 できれば、コメントなどいただければ……

 ※おしまいに、ドイツの哲学者カントの言葉
  「目が見えないことは人と物を切り離す。
   耳が聞こえないことは人と人を切り離す」

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは「おやすみ」

-No.1941-
★2018年01月14日(月曜日、成人の日
★11.3.11フクシマから → 2867日
★ オリンピックTOKYOまで →  557日
★旧暦12月09日 → ☆上弦
(月齢8.4、月出11:27、月没....:....)

「おげんきよう!」の明日へ…きょうは「おやすみ」

-No.1940-
★2018年01月13日(日曜日
★11.3.11フクシマから → 2866日
★ オリンピックTOKYOまで →  558日
★旧暦12月08日 → ☆上弦まで1日
(月齢7.4、月出10:58、月没23:16)

平成天皇の軌跡…… /             美智子皇后とともに歩んだ<象徴の旅路>

-No.1939-
★2019年01月12日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2865日
★ オリンピックTOKYOまで →  559日
★旧暦12月07日 → ☆上弦まで2日
(月齢6.4、月出10:28、月没22:20)






◆平成天皇はひとまわり目上の<ひと>

 いよいよ代替わり。
 譲位の年を迎えるにあたって、この年末年始は「平成の世をふりかえる」番組の目白押しでしたね。

 平成の天皇は、歳が、ぼくとちょうどひとまわりちがい。
 (そう…亡くなった永六輔さんと同年にあたります)
 ぼくらには、ぼくらの世代なりの天皇観と変遷があったことに、いま、あらためて想いいたっているところでもあり。
 「平成しめくくり」の年始に、少しぼくの想いを述べさせてもらおうと思います。

  ……………

 ぼくは、戦後すぐもいいとこ、1945(昭和20)年8月16日終戦翌日の生まれ、ですから。
 昭和天皇玉音放送を聞いていませんし、「人間宣言」のあったときも未だ満1歳にもならない赤子でした。

 うちの父は、次男坊のいわば分家筋。嫁いできた母も次女、だったせいでしょうか。
 うちには、よその旧家に見られるような、(明治と昭和)天皇・皇后両陛下の御影(みえい=肖像写真)の掲額もありませんでした。

 父は、会社の労働組合に属して中道寄りの革新、いわゆる進歩的な考えをもっていたようです。が、商家の出だったせいか天皇家には親愛。
 したがって正月にはよく、子どものぼくらを連れて皇居へ一般参賀に出かけ。ぼくは、そのあと街に出てお店で食事させてもらえるが楽しみで、ついて行ったものでした。

  ……………

 その頃の昭和天皇陛下と皇太子殿下は、まだまだ雲の上、別世界の存在で。
 なのに、身形〔みなり〕は確然とちがっても、カタチは同じ人間なのが、不思議な気がしていました。

  ……………

 ところが、いっぽうで現実
 時代は確実に変わってきており…その証拠に。
 昭和天皇は、うけこたえのときに「あっそう」と、ちょっと詰まりぎみに言うクセがありましたが。これをガキどもが真似、ぼくの名字に引っ掛けて「あっそう(浅生)天皇陛下」と、ずいぶん、からかわれましたっけ。

 戦前までは、とても考えられないことだった(…でしょう)。
 
  …………… 

 実際、幼少年期の皇太子(平成天皇)は、宮中教育を受けて、とうぜん、プリンス意識がかなりつよかったらしい。
 けれども、ぼくら庶民には関わりのない世界は、関わりなくすぎていきました。

 そんな皇太子が、ぼくらにも身近な存在になりはじめたのは、勉学に通う学習院には一般人の「ご学友」が存在する…などの報道があって、これがとても新鮮に思われた頃から。
 じつは、思わず(へぇ)とぶったまげるほどのコトがあったのでしたが……
 
 しかし、なんといっても別次元の立場にある<ひと>のことでしたから。
 その青春、結婚、天皇即位、象徴の旅、そして退位にいたるまで、人知れず、ずっと心に秘してきました。

 それは、庶民が言う渾名〔あだな〕、「ご学友」が皇太子に付けた愛称が「ちゃぶ」だった。
 もちろん週刊誌ネタでしたが、正直ぼくは(オイオイ、いいのかょ)と思った。

 いわれが「茶色い素焼きのブタ」、古い時代の蚊取り線香立て…ですよ。
 それが、また、じつにウマい。
 皇太子の肌色をピタっと言いあてて妙でした。
 ぼくにとっての人間皇太子は、このときから始まっています。
 (このさい、ついでに告白しておくと、ぼくはその後、うちに飼われたネコに「ちゃぶ」と名づけています、もちろん、ぜんぜんそんなつもりはなくて、ただ毛色が茶色と白のブチだったから…にすぎませんでした…けれども)
 
  ……………

 つづいて、(実感としては)間もなく、お妃えらびが世間の話題を攫うことになり。
 実際にそれがスタートしたのは二十歳〔はたち〕の頃からだそうですが、現在の皇后美智子さまの存在が知れてきたのは、昭和30年(22歳、ぼくはまだ10歳になったばかり)代に入ってからだった、ようですね。

 「テニスコートの恋」の始まり。
 「ミッチー・ブーム」のさきがけでした。
 (影響をうけてぼくも、生意気にテニスに目覚めた覚えがあります)

 ところが、ここに旧時代勢力(…と庶民の目には映った)の壁が立ちはだかります。
 「お妃候補」
 皇太子「意中の人」として、正田美智子嬢の名が鮮明になってくるにつれ、皇太子の母、香淳皇后を筆頭に主だった華族女性陣から猛烈な反対の声があがって、それがマスコミを通じて庶民に伝わる。

 巷の<声なき声>は騒然となりました。
 庶民大衆の間には、「てやんでぇ」気分の半面に、平民がそんな雲の上にあがったら人身御供になるようなものではないか…という心配、同情も大きかったからです。

 そんなこんなで、具体化してきた話しは1957(昭和32)年、正田家がいったんは宮内庁の打診に「おことわり」。

 けれども、皇太子みずからが「意中の人」をあきらめず。
 信念と篤実の教育者、小泉信三さんらに背中を押されて、みずから直々の結婚申し入れ。
 そのキューピッド役(電話のとりつぎ)をつとめたのが、「ご学友」の織田和男さん(陸上三段跳びのオリンピック選手織田幹男の息)だった、という。

 このあたりから、俄然、ドラマチックになってきて……

 1969(昭和34)年の婚約発表は、テレビ(このとき一気に35万台が普及)で1500万人が観た、といわれます。
 (父が家電メーカーに勤める、わが家にテレビが来たのもこのときだったと思います)

  ……………

 たいせつなのは、このときから。
 「はじめての平民からの皇后」美智子さま(ミッチー)をとおして、皇太子(現在の平成天皇)は庶民大衆から親しまれる存在になっていきました。
 そのことを、だれよりもご本人が忘れがたいのだ、と思います。
 それは、そうでしょう。ともあれ
 まさしく快哉、快挙でした。

  ……………

 それからの月日、さまざまに手がけられた<改新>ごとの、そのすべてに美智子さまの将来への思慮、協力があったことは、いまさらあらためて言うまでもないでしょう、けれど。

 ひとつ…ふかく心にのこる風景は
 昭和天皇崩御による即位を経て後の、平成天皇・皇后の<象徴の旅路>。

 1959年(昭和34、ご成婚の年)の伊勢湾台風の被災地を見舞った折には、これまでどおりの立ち姿だった平成天皇(当時は皇太子)が、1986(昭和61)年 三原山噴火災害の避難所を訪れたときには、床に膝をついて、同じ目線で寄り添う、真実〔まこと〕の対面になっていました。

 これなども、美智子皇后の<こころもちの所作>に学ばれたにちがいなく……
 この真摯、親身な<慰霊・慰問のスタイル>が、お二人の長い<象徴の旅路>に澄明な彩りを添えて、この国の民にとって忘れがたいものにしました。

  ……………
 
 そうして、この1月2日。
 平成天皇として最後の一般参賀には、15万5,000人にもおよぶ人の波。
 いつもは5回の「おでまし」が、それでも見納めきれない人たちのため異例のカーテンコール、2回ふやして計7回の「おでまし」になった。

 昨年末にひきこまれた風邪のせいか、天皇の「新年おめでとう」の声は鼻声でしたが、「ありがとう」と頭をさげる姿に、人々は涙しました。
 これまでにくらべて、外国人や若者の姿も多かったといいます。

 「平成の世に戦争がなくてよかった」
 さきの大戦中に生まれた平成天皇にとっては、これにまさることはなかったでしょう。

 いっぽう、皇后美智子さまには、どんな感慨があったものか。
 皇室に嫁ぐ前には、まんがいち「革命」などという非常の事態がおこらないともかぎらない…おそれさえもあったかと思われ。
 いま、たしかな手ごたえ、民衆の支持を得てあることに、万感せまるものがあるのではないでしょうか。

 幸いにして、跡を継ぐ長子・皇太子、次子・秋篠宮もまた、平成天皇の意思を体するものと察せられます。

 あと、望まれるのは、<象徴の天皇を愛する>庶民、大衆の思案が、天皇の<平和への思い>と、どうか行きちがうことのないように……

 もうひとつには、マスコミ方面の、興味を惹く自由なもの言いとはいえ、明らかに<度のすぎた>中傷記事、のたぐいにもとめられる最低限のモラルでしょう。

 <贔屓の引き倒し>の誤りを犯して、国の行く末を脅かしてはいけない、と考える者です。
    
 
   

2019…新春、第95回「箱根駅伝」(復路)

-No.1938-
★2019年01月11日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2864日
★ オリンピックTOKYOまで →  560日
★旧暦12月06日 → ☆上弦まで3日
(月齢5.4、月出09:59、月没21:24)





◆「スピードの東海大」史上17校目の総合優勝校に

 3日の復路は、テレビ観戦。

 元日は、雑煮を祝いながら実業団の「ニューイヤー駅伝」に、ほろ酔い。
 2日の「箱根駅伝」往路は、運動初めに芦ノ湖畔のゴール付近へ出張って生観戦。
 そうして3日復路は、ふたたびテレビの中継映像にランナーたちの息づかいを追う。
 このスタイルが、ごく自然になじんで、すっかりぼくの正月風景に定着している。

 ことし63回の「ニューイヤー駅伝」にふれておくと。
 結果、旭化成の3連覇は、さすがの厚みだった、が。

 個人的には、村山謙太・紘太(旭化成)のそろい踏みに期待があったのだけれど、調子はいまいち。箱根駅伝卒業組の中では、出遅れている感いなめない。
 オリンピック候補をリードする、大迫・設楽(悠)・井上・服部(勇)の4人に迫る活躍を望みたいところだ。

  ……………

 さて、「箱根駅伝」復路。
 往路の結果から、総合優勝に近いのは東洋大東海大
 この2校に<共倒れ>があったときに、青学大の大逆転もあるか…だろうと思われた。

 ただ、東洋大は酒井監督もいうとおり「6・7区はいいからその先」が課題。
 追う東海大は、強味のスピードで押し切る地力があるか、なにより距離の不安を克服できるか? 選手個々の体調管理もふくめて不安感がのこる。
 昨年も期待あえなく往路で夢ついえた。
 青学大も、6・7区は東洋大を凌ぐ実績、自信をもった選手を抱える。すべては、その先8・9・10区の選手の奮起にかかっている。
 こう見てくると、勝負どころは8区。つづく9区でキマル可能性が高いのでは……

 現実。
 朝8時に芦ノ湖畔をスタートした6区、つづく小田原-平塚の7区は、青学大が実力者二人(4年・小野田、4年・林※昨年の最優秀選手)が区間賞(小野田くんは区間新)の好走で、6位から3位へ。
 しかし、東洋大東海大も堅実に走って、1位・2位をキープ。

 予想どおり、8区に勝負どころが待っていた。
 東海大の小松陽平(3年)くんが、最優秀選手に選ばれるいいリズムで早々に東洋大・鈴木宗孝(1年)くんに追いつくと、じっくり構えてかなりの距離を並走、相手の状態をしっかり見極めてからスパートして突き放す、みごとな仕掛けで、ついにトップへ。

 この区間で逆につけた差は1分弱にすぎなかった…けれども、競り負けた東洋には大きなダメージを与え、同時に東海はみごと「距離の不安」を解消して見せた。

 (結果、小松くんの区間新は、箱根駅伝区間記録でもっとも古い古田哲弘=山梨学院大・97年の記録を、22年ぶりに塗り替えた。ちょうどその年に生まれた小松くんが更新したことに歴史を感じる。いまは姿をけしているけれども、あのときの古田くんの走りも驚異的なものだった……)

 つづく9区も、東海大区間2位の走り、逆に東洋はまさかの区間19位で、差は大きく広がって、この時点で総合優勝争いの勝負はあった。

 実力の層厚い青学大は、8・9・10区もほぼ完璧に繋いで、復路の区間成績は1位→1位→2位→1位→2位。新記録で復路優勝の意地を見せた。
 東海大の両角監督は、苦労がむくわれた優勝。復路の区間成績2位→2位→1位→2位→3位と、青学に迫る安定感を見せて、復路(2位)も新記録。

 新記録で総合優勝(初)の東海大と、やはり新記録ながら2位あまんじた青学大との差を見ると、青学は「復路でガンバったが、往路の借金が大きすぎた」ことに尽きる。
 選手の心理に与える影響は、いつも結果の記録以上に大きい。

◆「箱根駅伝」も新時代

 ことし第95回の「箱根駅伝」総合成績上位10校。
  1位東海大  2位青学大  3位東洋大  4位駒大  5位帝京大
  6位法大   7位国学院大 8位順大   9位拓大 10位中央学院大
 以下の大学は、次回96回大会は「予選会」からの再チャレンジになり。
 そのなかには、熟年・高齢ファンにため息まじりの名門校がずらり名を連ねる。

 ことしは、東海大が17校目の総合優勝校に名を連ねたわけだが。
 来年は「予選会」からのスタートになる、歴代優勝経験校をあげてみると。
  〇中大(14回) 〇早大(13回) 〇日体大(10回) 〇日大(12回) 〇神奈川大(2回) 〇明大(7回) 〇大東大(4回) 〇山梨学院大(3回)
 以上、あらためて栄枯盛衰、時代の推移を痛感せざるをえない。

 とくに、パワハラ問題に揺れた昨年が、その大きな節目といっていい。
 青学大の連覇が始まった91回大会からの地殻変動期は、ことし東海大の初優勝でさらに加速すること必至。

 すでに新興校の足音たかく、次代を見据え腕を撫しており。
「進化をやめ、立ち止った時点でチームは後退する」
 青学大、原監督の言うとおりだろう。
 伝統校の刷新、出直しに期待したい。
 新興校の進出に加え、古豪・伝統校の再生・復活なくして「箱根駅伝」のさらなる進化はないのだから。

◆「厚底シューズ」オリンピックを制すか…

 もうひとつ。
 ぼくは、いま、アスリートとくに長距離ランナーのシューズに注目している。
 
 いうまでもなく、スポーツ競技の進化は、道具およびトレーニング技術の進化ぬきには語れない。
 水泳競技の水着を見るまでもなく、陸上各種競技におけるシューズは、なかでも基本中の基本(パラ競技になればその比重はもっとおもい)。なかでもとくに、ほかに手段のない「駆けっこ」のシューズは命綱といってもいい。

 直近の話題は、長距離(マラソン)ランナー用にすこぶる評判の高い「厚底シューズ」の存在だ。
 しかも、選手個々人用の特別誂え品ではなく、広範用途のメイカー品。

 そのシューズは、有名なスポーツ関連メイカー、ナイキの「ズームヴェイパーフライ4%」。
 ランナーでもないボクは、もちろん詳しくは知る由もないが。
 走る選手の足にフィットして地面からの衝撃をやわらげ、前へ蹴り上げる反撥力に優れる。かわりに、選手にはピンポイントで狂いなく接地する走行技術が求められる…という。

 このシューズが注目されるわけは、昨18年、東京マラソン日本記録を更新した設楽悠太くん、ベルリンマラソン世界新記録で制したキプチョゲ(ケニア)、シカゴマラソンで設楽くんの日本記録をすぐに更新して見せたプロランナー大迫傑くん、この3人が揃って愛用し、揃って好成績をのこしているから。

 もちろん、その一方には、箱根駅伝「山の神」だった神野大地くん愛用の「薄底シューズ」があり、靴の履き心地や好みはさまざ、なのだけれど。
 これだけの集中は、瞠目にあたいする。

 ならば、ことしの箱根駅伝では…どうだったのか?
 新聞報道によれば驚くべし、出走230選手中なんと95人がナイキの注目シューズであった、というのだからオソルべし。
 (ざんねんながら沿道やテレビ画面でのみ、走るランナーの足もとを追うしかなかったぼくには、その判別ができない。唯一、復路大手町のゴール後の胴上げで宙に舞った東海大アンカー郡司陽大(3年)くんの足にソレを認められただけだった)

 2020TOKYOオリンピックまで、あと560日。
 さらに熱をおびた開発ラッシュがつづくことだろう……

 ちなみに、ただの散歩者にすぎないぼくも。
 歩けなくなるリスクを避けるため、シューフィッターの調整するウォーキングシューズを履いている。

 それも、東日本大震災の被災地東北、遍歴の旅で履き古して、いまのは2足目。
 まだまだ、歩けるうちは歩こうかい。
























*上掲フォトは、5区ゴール手前2km付近のランナー。上左から右下への流れ(以下同)で、昨日につづいて。11位明大・酒井、12位中大・岩原、13位日大・鈴木、14位国士大・鼡田、15位早大・大木、16位日体大・室伏、17位東国大・加藤、18位神奈川大・小笠原、19位城西大・服部、20位上武大・橋立、21位大東大・佐藤、22位山梨学院大・久保、(オープン参加)関東学生連合・相馬(筑波大)、以上。

2019年…新春、第95回「箱根駅伝」(往路)

-No.1937-
★2019年01月10日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2863日
★ オリンピックTOKYOまで →  561日
★旧暦12月05日 → ☆上弦まで4日
(月齢4.4、月出09:27、月没20:29)










◆「往路の東洋」堅実に連覇

 恒例の「箱根駅伝」往路、ゴールの芦ノ湖へ出張観戦の正月2日。
 早朝の東天には、三日月に明けの明星が寄り添うという、その美しさからして瑞兆といっていい、幸先の佳い天体パフォーマンス。
 これが、さて、出場23チームのどこに微笑むことになるのか……

 町田駅から小田急線、特急ロマンスカーに乗りこむ頃には、中継の放送がスタートしており、乗客のほとんどが初詣がてらの箱根駅伝観戦組、いつもの風景。
 小田原に近づく頃には、1区の選手たちが大手町の読売新聞東京本社前をスタート。箱根湯本に着く時分には品川あたりまで来ていた。

 ぼくは、スマホに受信する速報画面でレース経過を追っていました…が、実況生中継にはてんで及ばない。
 従って、これは、あとで総集編映像を観てワカッタことですが。

 1区がスタートして間もなくに、大東文化大の新井康平(4年)くんが転倒、足をひきずるようにしての20km超は過酷にすぎて、1人ではない駅伝競技ゆえの難しさをあらためて思い知らされました。
 けれど、まぁ、なんとか襷がつながってヨカった。
 (大東大も箱根常連校のひとつ、今回、伝統校の苦戦を印象づける場面になりました)

 ほかは、お馴染みの強豪校が上位につけた1区、伝統校の中大が2位に喰いこむ健闘を見せて2区へ。
 中大は「花の2区」でも、堀尾謙介(4年)くんがトップの東洋大山本修二(4年)くんと競り合い、戸塚中継所ちかくまでトップに立つ覇気を見せ。
 順大のエース、塩尻和也(4年)が下位からゴボウ抜きの快走を見せてくれたものの、区間賞は日大のワンブイ(4年)くん。
 (この日の穏やかな天候どおり、波乱の少ない展開でしたね。ぼくたちは箱根登山バス、新道経由でゴール地点の箱根町港に到着)

 「花の2区」より、近ごろは大事な、勝負どころになってきている、戸塚-平塚の3区。
 1区のアクシデントで大きく出遅れた大東大、早くも無念の繰り上げスタート、厳しい展開に。
 青学大3区は、この日エントリー変更で入った森田歩希(4年)くん。さすが主将、安定したピッチ走法の冴え、区間新記録の走りでチームを8位からトップへ。
 2位に下がった東洋大も喰い下がって離れず、今大会注目の東海大が4位に上がってきた。
 (コンディションがいいと、走りにも危な気がなくなります。箱根神社に、これも恒例の初詣。境内にはいつもどおりの焚火が燃えていましたが、ことしは吐く息が白く凍るほどではありませんでした)

 4区、平塚-小田原間にドラマが待っていた。
 やっぱり箱根には、いつもナニか…がある。むずかしい舞台だ。
 2位だった東洋大、キーマンと目されていた相沢晃(3年)くんが「えっ!」と思わせる区間新記録(約1分半も更新)で、トップを奪い返しただけでなく、青学大との差をグンと広げた。
 逆に青学大、初出場の岩見秀哉(2年)くんはマサカの低体温症に見舞われ、区間14位のブレーキで3位に後退した。
 かわって2位に上がったのは、東海大青学大の原監督に「こわい存在」と言わせた実力者、館沢亨次(3年)くんが東洋の相沢くんに次ぐ区間2位の好走を見せてくれた。
 (ぼくたちは、いつもの成川美術館へ。展望レストランに上がりながら、ことしも青学大の勝ちで5連覇か…と思われてきた矢先の再逆転劇。そういえば、ことしは雪化粧の富士山が顔を見せてくれませんでした…)

 4区で、トップ東洋に3分半もの差をつけられても、青学・原監督は(5区でとり返せる)気でいたと思う。
 5区には、新〝山の神〟を目指す竹石尚人(3年)くんがいたからだ。が、狂った歯車は元に戻らず。竹石くんは区間賞どころか、脚に痙攣、区間13位の成績で3位から6位に後退。トップ東洋大との差はキビシイ5分30秒。

 トップの東洋大は、この区間も手堅く走り、(担当区間は変わっても)去年と同じメンバーで往路を制し、記録も去年を上まわる見事な往路新記録だった。
 東海大区間新記録(区間賞は国学大の浦野くん)のガンバりで往路新記録の2位。トップ東洋大との差、1分14秒なら復路逆転もありそう。

 それにしても区間新記録が一挙に3つも…ことしの5区は素晴らしかった。
 区間新で区間賞の国学大、浦野雄平(3年)くんが母校を初の往路3位に押し上げ、新たな歴史をつくった。
 ほか、法大の青木涼真(3年)くんも、昨年みずから打ち立てた区間記録を更新、惜しくも区間新は他にゆずったけれども…迫力ある〝山上り〟が光った。

 惜しかったのは、伝統校の中大。2区途中で一度はトップに立ち、4区まで一桁順位を守りながら5区で力尽き12位に沈んだ……

 (ぼくたちは、いつもどおり、ゴールまであと2km付近の元箱根歩道橋で5区のランナーたちを迎えたのだけれど。観戦をおえて、かみさん、カメラ片手にポツリつぶやいた…ことしの走りはみんな淡々として見えたわネ…と。そうかも知れない、それだけレベルが上がったのかも)

 ……………

 往路の芦ノ湖畔には、この日、ちらちら小雪が舞って選手たちを迎えた。
 今朝、東天に見た天体ショー<三日月に明けの明星>は、どこに微笑む〝瑞兆〟であったか…は、この小雪模様でひとまずあずかり、明日の<復路>にもちこしとなった。
















*上掲フォトは、5区ゴール手前2km付近のランナー。上左から右下への流れ(以下同)で、1位東洋大・田中、2位東海大・西田、3位国学大・浦野 / 4位駒大・伊東、5位法大・青木、6位青学大・竹石(左)と8位拓大・戸部 / 7位順大・山田、9位帝京大・小野寺、10位中央学院大高砂(ここまでがシード圏内)と後ろには11位明大・酒井の姿。
※以下の各校ランナーは、明日(復路)紹介します。


 

ミミにやさしい「クリア・ボイス大賞」発表 /  すてきな音の空間をもとめる会 

-No.1936-
★2019年01月09日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2862日
★ オリンピックTOKYOまで →  562日
★旧暦12月04日 → ☆上弦まで5日
(月齢3.4、月出08:53、月没19:34)





◆「クリア・ボイス大賞」

 これは、「すてきな音の空間をもとめる会」によるものです。
 ざんねんながら、会員はまだ私(浅生忠克)ひとり。
 なので、わたしの「聞こえ」の判断で決めさせていただきました。

 聴覚障害と呼ばれる、(疾患にはちがいない…けれども)なかでは程度のかるい、と思われている領域に、「難聴」があります。
 わたしは、大学病院の耳鼻科で検査をうけた結果、「中程度の難聴(ふつうの人の70~80%くらいしか聞こえていない)」と診断され。
 いま現在、補聴器とつきあっています。

 症状をわかりやすく説明すれば、日常の会話で相手の言葉が<聞きとりにくい>ことが少なからずあり。小鳥のさえずり、風鈴や電子通知音に気づけない。
 高音で小さな声の女性の甘いささやきなどは…ふんいきだけでしか、あじわえません。
 しかも

 そんな「不幸」な境遇が、私だけじゃなかった。
 じつは、子どもたちにも少なくないし、近ごろは若者たちの間にもふえてきている。
 全人類の10~20%には「なんらかの耳の障害」があり、65歳以上の高齢者になればほぼ半数が「難聴」の身、といわれます。
 また、聴力に問題はないとされる人たちにも、じつは「聞きとりにくい」あるいは「聞こえていないけど前後関係で対処している」、状況があります。

 それにしては
 「音」に対する注意、「聞こえ」に対する配慮がなさすぎる、いまの世の中。
 「難聴」者は、みずからの「聞こえ」を改善する努力をしながら、もう少し、世の中が「音」や「聞こえ」にやさしくあってほしい、と願っています。
 アナウンサーや俳優・声優さんなど、声でコミュニケーションをとる職業のプロには、「クリアに聞こえる」話法の研鑽につとめてもらいたいし、音響や録音関係の技術者の方々には、「迫力」より「透る(通じる)」音を追求してほしい。

 そんなきっかけづくりのム-ブメントとして
 「クリア・ボイス大賞」をノミネートしたい

 では、発表します。
 栄えある第1回「クリア・ボイス大賞」は…
  ☆女声 / 相武紗季〔あいぶ さき〕
  ★男声 / 中井貴一〔なかい きいち〕
 ※女声の相武紗季さん(33)は、主にテレビドラマ・映画・CMで活躍する女優さんですが、<声優>の素質も群を抜いています。愛らしい表情をもったやさしい声音、それでいて女声にありがちな<語尾の消える>こともなく、なにしろ癒されます。最近ではNHK『岩合光昭の世界ネコ歩き』の語りが秀逸。
 ※男声の中井貴一さん(57)は、役者としてあたりまえのことながら。近ごろは安心感をもって観て・聞いていられる俳優さんが少ないなかにあって、<けれん味のない王道>とも言える<台詞まわし>は、さすが。血筋(父=佐田啓二、姉=中井貴恵)を思わせます。その透る声は『雲霧仁左衛門』でも健在。


 ……………

 以上
 「すてきな音の空間をもとめる会」の「クリア・ボイス大賞」に賛同くださる方。
 どうぞ、ひと声かけてください。

 来年、第2回の発表にはぜひ、幅広い合議の結果をおとどけたしたい、と思います。

 相武さん、中井さん、に親しい方がおられましたら、ご本人にお伝え願えれば幸いです。
 できれば、コメントなどいただければ……

 ※おしまいに、ドイツの哲学者カントの言葉
  「目が見えないことは人と物を切り離す。
   耳が聞こえないことは人と人を切り離す」

ことし…どうする(後) /           コージェネ床暖房と家内の片づけ…遍路の中断

-No.1935-
★2019年01月08日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2861日
★ オリンピックTOKYOまで →  563日
★旧暦12月03日 → ☆三日月、若月、眉月
(月齢2.4、月出08:15、月没18:39)









◆「エネファーム」が来た

 昨年、末前の11月下旬。
 わが家に、ちょと大きなシステム装置がやってきました。

 都市ガス(東京ガス)から作った水素を、空気中の酸素と化学反応させて「電気エネルギー」と「熱エネルギー」を創り出す。
 「家庭用燃料電池コージェネレーションシステム」というやつです。
 つまり、発電と給湯を同時に達成して、災害などによる停電のときにも、一定の水と電気を確保することができる……

 きっかけは、昨年8月下旬から9月初旬にかけて、通算21回目の《11.3.11》被災地東北巡礼の終盤。
 旅の途次に遭遇した、9月6日の「北海道胆振東部地震」でした。

 これまで、被災地支援をかさねてきた経験から、ぼくたち夫婦は、災害時の対処法には、いささかの心得があるつもりでした、が。
 (とんでもない…まだまだアマかった)ことを痛感させられて、帰宅。

 その後、最小限の自家発電装置やバッテリー電源のあれこれを調べているところへ、たまたま定例の配管と機具の点検に来た、東京ガスのサービス・エンジニアとの話しから、一挙に急展開することになりました。
 ガス・コージェネレーションについては前から関心があり、下見などの経験もあったから、話しがはやかった。「渡りに船」というやつですね。

 ……で、どうせやるなら、エネルギー効率的にも有利な「床暖房」導入まで思いきっていこう、ということに。

 時季からして、「床暖房」は次の冬前の工事になりましたが。
 「エネファーム」は、ひとあしお先にやってきた、というわけです。

◆被災地「東北遍路の中断」がきまる

 この話しの進行、じつは、けしてスムースだったわけではなくて。
 いまや年金暮らしの爺っちゃ婆っちゃにとっては、正直、かなりおもい決断。

 これまでずっと、二人三脚でつづけてきた被災地東北遍路の出費が、ぼくたち夫婦にとっては少なくなかったものですから。
 熟慮の結果、向こう一年は遍路を中断して緊縮・節約に努め、ガス・コージェネレーションの費用をまかなうことにしたわけです。

 これも、被災地支援の活動から学び得た教訓。
 ただ、一途に緊縮・節約といっても、「飲食・教養・減災」の出費はこれから除くことにしました。
 
 ともあれ、そこで
 明けて「ことし…どうする」の対象に、昨日お伝えした①~③にもうひとつ、新たな1項目が加えられることになりました。

◆④「家内片づけ」と「減災家治」

 リビングに「床暖房」を導入するために。
 日常生活でもっとも使用頻度の高いリビングの、床を改造しなければなりません。
 そのために必要な空間の「片づけ」は、いちリビング空間にとどまらず、家じゅうすべてに及びます。

 工事期間は1週間ほど、ですが。
 その間、代替の空間確保、やりくりの工夫をどうするか……

 いまある家内のリフォーム造作はすべて、ぼくが手ずからしたもの。
 ですから要領は心得ていますが、かなりの手間暇は避けられません。
 それに、造作の細部というのは、時間とともに、使い勝手の良しあしも変化しますから。
 この際、必須の「減災」を念頭に、再改装もあれば、新工夫も加わるでしょう。

 それに、前にすませた(つもりの)リフォームのなかにも、東日本大震災があって、じつは仕上げが半端になっているところもあって……
 ヤレヤレですが、いや…コレはいいチャンスをもらったのかも知れません、しね。

 もういっちょガンバってみる、つもりです。
 (跡継ぎのない家…でも、デス!)

 昨年、途中になった「2018さんりく巡礼」の報告記がすんだら、「わが家を手づくりリフォームの記」といきましょう。
 「エコな住まいとはどういうものか」のお話しも交えて…どうぞお楽しみに。

 ……………

 「片づけ」はじめたわが家から、おひきとり願ったもののひとつに、お札あり。
 「方位除け」の寒川神社からいただいてきたものですが、粗末にしてはイケマセンので、4日にお礼参りをして、納めてきました。

 寒川神社は、亡くなった両親が、いまある家を購入に際して信心した神さま。
 くわしい話しは、またにしますが。
 そのときお世話になって以来、その後のぼくも、身辺・縁者の、なにかにつけて頼み(こころ覚え)にさせてもらっているのです。

 なお、ちなみに
 山門の「ねぶた飾り」に迎えられる寒川神社、頒布の「八福餅(あんころ餅)」が、スウィーツ好きにはたまらない逸品デスよ。
 





ことし…どうする(前) /            旧暦と月齢、1週2散歩、執筆・上梓

-No.1934-
★2019年01月07日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2860日
★ オリンピックTOKYOまで →  564日
★旧暦12月02日 → ☆繊月、二日月
(月齢1.4、月出07:33、月没17:44)












◆ことし…どうする

 なに、年が明けてスッパリ考えた…わけじゃありません。
 昨年も暮れてきてからアレやコレや思いめぐらせ、メモっておいたのを、大晦日の夜に見なおして眠り、元朝、目覚めて(よっしゃ!)とキメたまでのこと。

 ぼくは<不言実行>タイプではなし、<有言実行>と言うには面映ゆいばかりの、言ってしまって(しょうがない)からヤルまでのこと、なんですが……

 正月2日。出掛けの東天には、吉兆。
 左三日月に寄り添うようなかたちに、明けの明星(金星)。

 初詣の箱根神社にパンパンと拍手〔かしわで〕うって、みずからに言い聞かせてきました。

◆①記事トップに「旧暦」と「月齢」

 これは、ご覧のとおり。
 昨年末に新年からの採用を決め、カレンダーも「月齢」のものを購入しました。
 季節のめぐりを、より身近に感じたかったから。
 なれるまでは少々やっかい…ですが、新鮮。
 思ったよりも、いい気分です。

◆②1週2散歩

 隔週の「心リハ(心臓リハビリテーション)」をつづけながら、たりないぶんの運動を心がけます。できれば、春からは目標「隔日お出かけ」。
 出かける時間のとれないときには、室内でのスクワット&スロトレ

◆③童話『とんびのヨロロ』、東日本大震災・被災地東北遍路の記録『二人三脚…七転八到…ひと九ぎり』の上梓

 出版のカタチから、従来の枠にとらわれず考えてみます。
 遍路の記録は、準備にかなりの時間がかかるものと思われ、出版は来年にずれこむかも知れませんが……

◆④「家内片づけ」と「減災家治」

 これについては、明日あらためて、お話します。

年末・年始のおやすみ(15日目/15)オシマイ

-No.1933-
★2019年01月06日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2859日
★ オリンピックTOKYOまで →  565日
★旧暦12月01日 → ☆新月
(月齢0.4、月出06:46、月没16:52)


*昨日の「小春日和」が、暮れ方からグッと冷え込んで、いよいよ冬らしくなってきました。

 きょうは旧暦12月1日、なんか、こう…とても相応しい気分がしませんか。
 3年ぶりとかいう部分日蝕、町田の空は朝からベタ曇りでザンネン見られませんでしたが……

 お待たせしました、いただいた正月休みで寒冷対策の脂肪貯蓄もたっぷり。 
 明日から、新年の<記事>スタートします。