どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記08>-富岡町①-夜ノ森の「復興拠点」構想

-No.1825-
★2018年09月20日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2751日
★ オリンピックTOKYOまで →  673日


*《11.3.11》から8年目の福島巡訪は、7月17~19日(1次)と23~25日(2次)でした。既報の<報告記>は8月5日から25日までにお届けしました。間が開いてしまってごめんなさい。再開します*


*9月15日に、樹木希林さんが75歳で亡くなりました。乳癌が全身に転移(みずから公表)しての早世(…と言いたい)。ぼくの二つ年上の姉さんと同い年。そのせいではあるまいけれど、「気がついたら傍に居た」タイプの、肩の凝らない、いい「下町っこ」役者さんでした。メソメソしたところがなくて、まわりをメソメソさせずに逝きました。惜しい(いまだにウソでしょ…って気がするくらい)けど、惜しまないことにします。<じょうずな生き方>を教えてくれました……*










◆「夜ノ森」

 …の地名、というより常磐線の駅名は、ぼくの記憶の襞にクッキリと刻みこまれている。
 それは、九州にある「夜明」駅(大分県日田市、日田彦山線)と好一対をなす駅名だったから。

 しかし
 「夜明」駅の方はすでに訪れていて、1972(昭和47)「片道最長切符」の旅で待合室に泊めていただいたこともあるのだ、けれども…「夜ノ森」駅の方には、まだそのチャンスがなくてすぎた。

 そうして後の…東日本大震災
 放射線量の高い〝ホットスポット〟になった夜ノ森地区は、ジュラルミンバリケード〝竹矢来〟の中に囲いこまれ……
 そうしてボクの、《11.3.11》被災地東北行脚<定点ウォッチ・ポイント>のひとつになっていた。

 「夜ノ森」駅から東、有名な桜並木のある通りをふくむ地域は、8年目を迎えるいまも「立入禁止」。
 許可なしには通行も許されない「帰還困難区域」だ。

 西の山側は、いま、ようやく本格的な除染が始まったところ。
 ジュラルミン〝竹矢来〟のバリケードが撤去され……
 ことし行って見ると、錆びた(列車の運行はまだ復活していない)レールのつづく線路わきでは、町の測量が始まっていた。

 ここ夜ノ森、駅西側の約390ヘクタールは、早期の避難指示解除を目指す「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)になる(同じうごきは、双葉、大熊、浪江の3町にも)。
 計画では、2020年度末(オリンピックの前)までに生活環境を整備、復興拠点の避難指示を解除。
 27年度末までに、帰還困難区域(約1600世帯、4800人)をなくす、という。

 ……………

 かつて
 「夜ノ森」の駅前は、富岡町でもゆたかな住宅街。
 町の1割強の地域に、およそ3割の住民が暮らしていた。

 ……………

 計画では
 今後5年で除染をすませ、まず復興拠点内を住めるようにし、10年内には町内全域での避難指示解除を目指す、という。

 が…現実は、避難指示が解除された地域もふくめていまだに放射線量が高く。
 町の人口も、原発爆発事故前の5%ほどにとどまっている……

 ……………

 ぼくが生きているうちに
 夜ノ森の桜並木を、なんの不安もなしに、こころ愉しく歩ける日が、来るのかどうか。

 でも、焦らないでほしい。
 功を焦って、住民は置いてけぼりの<前のめり>にだけは、ならないでほしい。

「北海道胆振東部地震」で北海道全土が真っ暗闇!!……巡訪「報告記」再開にあたって

-No.1823-
★2018年09月18日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2749日
★ オリンピックTOKYOまで →  675日

*2週間の巡礼取材行と、それにつづく1週間の休養、資料および写真の整理期間とをいただきました。1000カット以上ある写真のなかには、まだ未整理のものものこっていますが…それは報告記事の執筆と併行して、処理していくことにします*
*なお、報告記は7月末「福島巡訪」のつづきがあり、そちらから順次すすめさせていただきます…が*
*このたびは、たまたま8年目、20回目の《11.3.11》巡訪の旅仕舞い間近に至って、旅中途次のメール投稿でもお知らせしましたように、「北海道胆振東部地震」という〝北の大地の大災害〟に身をもって遭遇することになりました。そこに、クッキリと露わになったニッポンの<減災>の一大課題を、まず、はじめに指摘しておくことから始めたいと思います*



*道新(北海道新聞)9月7日朝刊

◆<電気屋>が<電源喪失>してどうするの…!?

 このことは、8年前、未曽有の大事故「福島第一原発」爆発のあったときにも、正直な<民の叫び>をあげておきました。

 あのときは…原発は福島にあっても<電気屋>は「東電」。
 電力の消費者は、首都東京を抱える大都会圏にその多くが集まっていましたから、それこそ国家存亡の危機。懸命のバックアップがあってなんとか、この難局を、時間・地域を限った「計画停電」で凌ぐことができたのでしたが…。

 爆発事故をおこした原発の、後処理に欠かせない電源・電力さえ自前の備えは喪失、他人さまからの借り物で助けられるありさまでした。
 非常のときだから無理もない…ことはありますが、「これだけは失うわけにはいかない」誇りってものがあるでしょう。
 <電気屋>の<電源喪失>は、そんな<誇りの放棄>にほかならない。 
 
 <電気屋>はいうまでもない<発電(配電)屋>つまり「電力会社」。
 「電力会社」の<電源喪失は、いってみれば専門の電気屋さんが<感電ショック死>したようなもの。
 あるいは<道具を失くしちまった職人>のようなもので、てんでオハナシにならない。
 恥を知れ…デス。
 
 こんどの「北海道胆振東部地震」では、「北電」最大の火力発電所、出力は全体の約4割を占めるという「苫東厚真」の立地が震源に近く、要所要所の設備に深刻な被害を被ったため…そのことが引き金になっての〝全道停電〟には、なるほど、やむをえない点があるかも知れない。
 また、すでに福島原発事故で充分に認識されたはずの、たいせつな<リスク分散>がなされていなかったことも、たしかに指摘されていい。でもね……

 それよりなにより、最大最悪のチョンボは<電気屋>の<電源喪失>です。
 地震で非常停止した発電設備を、再起動するのに必要な電源がイザというときになかった、働かなかった。
 それが<全道真っ暗>という超非常事態の根本原因だった…といってもいい。

 しかも加えて、そういう重大な事実を「バレるまでは隠しておこう」とする、姑息な体質があります。
 (ソレはいうまでもなく、全日本的にヤバイことではあるけれど…)
 これはまた、安全に停止中だったはずの泊原発にも、じつは一時<電源喪失>があったにもかかわらず、それが周辺自治体に報告されることはなかった、という事実とも通底すること。

 こうした<電力会社の病んだ体質>にメスを入れようとしない、いまの政府には、きっとナニか深いワケがあるにちがいない、と思わざるをえないじゃないですか。

 <電気>が、目に見えるカタチの電気にとどまらない影響は、甚大です。
 電気がなければ、卓上電話は通じません。スマホは通じますが、バッテリーが衰弱すればオシマイ充電できません。水道水だって、給水をポンプにたよるところでは断水します。
 鉄道輸送が止ったら、自動車輸送しかない、その動力源のガソリンを給油するスタンドだって、電動のポンプがなければ使えない。
  
 <電源>さえ無くしちまえば「ジ・エンド」…なのが現代生活です。
 ボクたちは、電力会社の無分別と政府の不明を糾弾しながら、しかし、みずからの生活もまた、あらためて考え直し、改めなくちゃいけない。

 水と食料をもとめ、ドラッグストアにできた行列に並んだ主婦の一人が、言ってました。
「うちはオール電化で、どうにもなりません、アウトですよ…懲りました、オール電化はダメですね」

 旅人のぼくは、考えました。
 マイカーにも非常用電源を用意する必要があるのか、を……

《11.3.11》2018被災地東北-宮城・岩手-行脚/帰宅後…資料整理日⑤

-No.1822-
★2018年09月17日(月曜日、敬老の日
★11.3.11フクシマから → 2748日
★ オリンピックTOKYOまで →  676日

*涼しく、楽になって、助かります。ほんに、この夏は、観測史上いちばんの炎暑と、稀に見る台風襲来あまたなことで記憶にのこるものでした。すぎしこの夏の試練を、おげんきに、ぶじ乗り越えられたあなたに…明日から、《11.3.11》巡礼8年目の報告記を再開させていただきます* 

《11.3.11》2018被災地東北-宮城・岩手-行脚/帰宅後…資料整理日④

-No.1821-
★2018年09月16日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2747日
★ オリンピックTOKYOまで →  677日

《11.3.11》2018被災地東北-宮城・岩手-行脚/帰宅後…資料整理日③

-No.1820-
★2018年09月15日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2746日
★ オリンピックTOKYOまで →  678日

《11.3.11》2018被災地東北-宮城・岩手-行脚/帰宅後…資料整理日②

-No.1819-
★2018年09月14日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2745日
★ オリンピックTOKYOまで →  679日

《11.3.11》2018被災地東北-宮城・岩手-行脚/帰宅後…資料整理日①

-No.1818-
★2018年09月13日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2744日
★ オリンピックTOKYOまで →  680日

9月8日(土曜日)14日目…穏やかに凪いだ海原




 2週間の巡礼、非日常の旅仕舞い…大地震禍の苫小牧港から大洗港へ……
 日常に帰る航路は、曇り空ながら穏やか。
 陽は夜明けにチラッと差しましたが、すぐに隠れました。
 8年…20回目…《3.11》の旅が、“歴史”になろうとしている…のを感じています。

《11.3.11》2018被災地東北-宮城・岩手-行脚/14日目(最終日、大洗港から帰宅)

-No.1813-
★2018年09月08日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2739日
★ オリンピックTOKYOまで →  685日

9月7日(金曜日)13日目…土砂崩れ被害の厚真町




昨夜は、午前1時すぎに目覚め、窓外に目をやってビックリ!
ホテル前にあるコンビニ「ローソン」の、電光看板が鮮やかに輝いている…電気が来た!
2時頃には、バスルームで「ゴ…ゴ…ゴ…」と音がして、タンクから給水、断水からも解放!
しかし、ついにエレベーターは動かず。
……………

ガソリンスタンドもオープンして、給油の車が長蛇の列をなす中、伊達市を後に。
空いたGSを見つけて給油…この日も「3000円まで」の制限つき。

ここで、巡礼・支援モードからジャーナリストモードに切り替え、地震の被災地、厚真町を目指す。
厚真町は、胆振と日高の境、競走馬を育てる牧場の多い野っぱらを、苫小牧港から、各地から派遣の支援の車列がつづく。《3.11》岩手県から御礼支援の隊もあった。

厚真町というところは、基本的には平たい土地柄であり、たとえば広島市安佐地区のような急崖は存在しない。
だから、こんどの地滑り的な土砂崩れが信じられなかったのだが。

美里地区の地滑り現場を見て、「どこでも崩れる…」感を深くした。
安否不明者の多い現場へは、非常線が張られて入れなかったが……
自衛隊をはじめ、救援・支援体制の厚さには、いつもながら頭がさがる。

北電支援の非常用電源車も大活躍していた。
おりから、2台の救急車が病院への道を急行して行く。
命の救われることを祈って…それしかできない…帰途、フェリーの港へと向かった……